文章

すくわない(16)

それから、夜になると決まった時間に和泉守と厨で夜食を作ることが日課になった。だいたい、お風呂に入ってからゆっくりしていると、畳に深い影が伸び、しぶしぶと立ちあがる。軽食を作り、監視されながら食べた。人は水だけでも生きていけるらしい。私自身の…

すくわない(15)

 日常というものは、どんなことがあっても、時がすぎるにつれて平坦になっていくものだ。辛いことがあっても、どんな傷も、時間が解決してくれる。傷の深さはどうであれ。壁に寄りかかるようにして座りながら、和泉守はそんなことを思った。少し離れた場所で…

すくわない(14)

「よくやった。こんのすけ」「重かったですよぅ」男が喋ると、畳についてしまうのではというほどの長い髪がゆれる。自分の本丸から刀を一振だけ持ってきたことをいまさらながらに思い出した。「和泉守?」蚊のなくよりもちいさな声だったのに、律儀に振り返っ…

すくわない(13)

「主さま、主さま! 起きてください」「なに……こんのすけ」布団のなかで寝返りを打ちながら薄く目をあける。部屋が夕暮れの暗さになっていて、雰囲気がおかしい。上体を起こしながら端末をたぐりよせる。夜かと思ったけれど、時刻は昼前だった。「敵?」近…

すくわない(12)

 それから、数日のあいだ、友達の本丸にお世話になることにした。書類の手伝いをしたり、厨で食事を男士と作ったりする。書類をまとめるのは得意だけれど料理はまるで駄目で、油から火が出るわ、指の先を切り落としそうになるわで、最終的にさやえんどうの筋…

すくわない(11)

雀の鳴き声で目をさました。柔らかい布団のなかで寝返りをうつと、顔の横に置いた手に硬い感触が伝わった。薄く目をあける。刀だった。どうしてここに、と壁のほうを見れば刀かけは空っぽで、寝る前に無意識で手元へ置いたのだろうと考える。畳に落っこちそう…

すくわない(10)

 深夜、ある部屋の前で立ちすくんでいた。灯りはとっくの昔に消えている。中の人物は眠っているため、物音ひとつしない。女の指が折れていたことを知ったのは翌日のことだった。あれから自分は、気がつくと自室でうつ伏せになっていた。どうやって戻ったのか…

すくわない(9)

 遠くで声が聞こえる。低くて優しい声だ。あまり耳馴染みがないけれど、なぜか落ちつく、そんな声。ずっと考えていたことがある。どこか遠くに行きたい。誰もいない場所、過去の追いかけてこないほど遠くへ。そんな場所などないと諦めていたが、声を聞いてい…

すくわない(8)

 翌日、絶対に来ないだろうと思っていたのに、予想に反して障子を叩く音が聞こえ、驚いて顔をあげる。横にいたこんのすけも珍しく動揺しているようで、尻尾が膨らんでいた。無視をするわけにもいかず、名前を呼べば、静かに一礼をしてから男が入室してくる。…

すくわない(7)

 深夜、夜遅くまで起きている者もいい加減布団に入るような時間帯であるにもかかわらず、へし切長谷部は廊下に突っ立っていた。日中は温かいが夜になると途端に肌寒くなる。薄い浴衣の袖から出た腕の表面を冷たい風が撫でていき、鳥肌の立っている腕を擦る。…

すくわない(6)

 畳で仰向けになり天井をみつめる。お腹ではこんのすけが頭を乗せていた。天井を眺めていると、木目が芸術的な模様のように思えてきて、つい見入ってしまう。だんだんと人の顔に思えてくるので面白い。「これから、どうされますか」「どうしようかな……ちょ…

すくわない(5)

 深夜にこっそりと本丸を抜け出し町へとでる。中心地はビルが多くあり都会的だった。まだ眠るには早い時間なのか町は賑やかで、多くの人が行き来している。細長い包みを背負っているので、すれ違いざま、ぶしつけな視線にさらされる。とりわけ、刀剣男士には…