文章

すくわない(20)

 ▼  人の悲しみはどうすれば癒えるのだろうと、最近そんなことばかり考える。静かな朝だった。障子から差し込む光がまぶしい。上体をおこし、ぼんやりと外を眺める。障子はなぜか少しだけ空いていて(本丸では猫を飼ってい…

すくわない(19)

 永遠とも思える時間を揺られていた。正確には測っていないが、体感的に六時間ほどは乗っていたのではないかと予測する。窓が大きくて、景色は遠くまで見渡せた。街から離れていくにつれて緑でいっぱいになる。だが、段々と日が落ちて夜になるとほとんど真っ…

すくわない(18)

きっかけは一通のメールだった。懇切丁寧な文章で、どうにか本丸の淀みの原因をつきとめてほしいという内容が書いてあり、重い腰をあげる。足元に寄ってきたこんのすけを抱きよせまわりを見渡すが、和泉守は席をはずしていたので、書き置きだけを机に残し外に…

すくわない(17)

昨夜はひどい悪夢を見てしまった。暗闇を転げるようにして化け物から逃げる夢だ。ずりずりと這いずるような音が後ろから迫ってくる。細く伸びる影。異形の妖怪が、どこまでも追いかけてくる。肺が燃えそうになるほど走るが、足を動かしてもおもうように進まず…

すくわない(16)

それから、夜になると決まった時間に和泉守と厨で夜食を作ることが日課になった。だいたい、お風呂に入ってからゆっくりしていると、畳に深い影が伸び、しぶしぶと立ちあがる。軽食を作り、監視されながら食べた。人は水だけでも生きていけるらしい。私自身の…

すくわない(15)

 日常というものは、どんなことがあっても、時がすぎるにつれて平坦になっていくものだ。辛いことがあっても、どんな傷も、時間が解決してくれる。傷の深さはどうであれ。壁に寄りかかるようにして座りながら、和泉守はそんなことを思った。少し離れた場所で…

すくわない(14)

「よくやった。こんのすけ」「重かったですよぅ」男が喋ると、畳についてしまうのではというほどの長い髪がゆれる。自分の本丸から刀を一振だけ持ってきたことをいまさらながらに思い出した。「和泉守?」蚊のなくよりもちいさな声だったのに、律儀に振り返っ…

すくわない(13)

「主さま、主さま! 起きてください」「なに……こんのすけ」布団のなかで寝返りを打ちながら薄く目をあける。部屋が夕暮れの暗さになっていて、雰囲気がおかしい。上体を起こしながら端末をたぐりよせる。夜かと思ったけれど、時刻は昼前だった。「敵?」近…

すくわない(12)

 それから、数日のあいだ、友達の本丸にお世話になることにした。書類の手伝いをしたり、厨で食事を男士と作ったりする。書類をまとめるのは得意だけれど料理はまるで駄目で、油から火が出るわ、指の先を切り落としそうになるわで、最終的にさやえんどうの筋…

すくわない(11)

雀の鳴き声で目をさました。柔らかい布団のなかで寝返りをうつと、顔の横に置いた手に硬い感触が伝わった。薄く目をあける。刀だった。どうしてここに、と壁のほうを見れば刀かけは空っぽで、寝る前に無意識で手元へ置いたのだろうと考える。畳に落っこちそう…

すくわない(10)

 深夜、ある部屋の前で立ちすくんでいた。灯りはとっくの昔に消えている。中の人物は眠っているため、物音ひとつしない。女の指が折れていたことを知ったのは翌日のことだった。あれから自分は、気がつくと自室でうつ伏せになっていた。どうやって戻ったのか…

すくわない(9)

 遠くで声が聞こえる。低くて優しい声だ。あまり耳馴染みがないけれど、なぜか落ちつく、そんな声。ずっと考えていたことがある。どこか遠くに行きたい。誰もいない場所、過去の追いかけてこないほど遠くへ。そんな場所などないと諦めていたが、声を聞いてい…