すくわない(17)

昨夜はひどい悪夢を見てしまった。暗闇を転げるようにして化け物から逃げる夢だ。ずりずりと這いずるような音が後ろから迫ってくる。細く伸びる影。異形の妖怪が、どこまでも追いかけてくる。肺が燃えそうになるほど走るが、足を動かしてもおもうように進まず、どんどんと化け物は距離を縮めてくる。

布団から半分だけ起きあがり障子を眺める。朝の空気がきれいだ。ぼんやりとした頭で夢を思い出しながら、ゆっくり息をはく。悪夢は部屋のすみずみまで浸食し、まだいたるところに気配が残っていた。

ちょうど目が覚めるほんの数秒前、誰かが暗闇から妖怪を斬ってくれた。もちろんそれは夢の話で現実ではない。肝心の人物は見えなかった。地面に手をつき、顔をあげる。のたうち回る妖怪の尾が土を叩く。

あれは誰だったのだろう。顔くらい見ておけばよかった。ゆるくなっていた浴衣の帯を結び直し立ちあがる。のろのろとした動きで布団を畳んでいると、奥の襖があいて、刀が入ってくる。挨拶のかわりに会釈をすると、和泉守は無表情に頷いた。重い布団を押し入れに突っ込んで廊下にでる。あくびをしながら和泉守もついてくる。彼はほんとうにどこまでも付き従ってくるので、もう大丈夫だと告げると憤慨して、後日、めずらしくメモを渡された。そこには綺麗な字で、“最後まで油断するな”と書いてあった。内容よりも字が整っていることに驚いて、”綺麗な字だね”と付け足すと、和泉守は顔を赤くして紙をぐしゃぐしゃに丸めてしまった。

こんのすけにも、できるだけひとりにならないようにと伝えられた。そこまで念を押されると、従う以外の選択肢がなく、自然と朝から晩まで一緒にいるようになり、最初に感じていた気まずさや息苦しさは薄くなっていった。人は順応するものなのだと感心する。

 

 

深夜、厨に向かった。足を踏み入れると、さっきまで人のいた気配が残っていたが肝心の姿は無かった。作業台に立ちフライパンを用意する。近くの竹籠に卵がつんであったのでふたつ拝借して、茶碗にぱかりと割る。溶き卵を作り、ねぎを刻んでいるところで、横から覗きこんでいた男は何を作ろうとしているのか分かったみたいだった。腕を組みながら観察している。熱したフライパンに溶いた卵を入れてご飯やねぎをほうり込んで混ぜる。炒飯は楽でいい。

適当に塩胡椒を振って味見をしてみる。真顔になるのが自分でもわかった。味がしない。ついでにぼそぼそとして食感も悪い。どうしたらいいのだろうと目についた小瓶を取ったところで横から手が伸びる。あ、と思ったときにはフライパンまでも取りあげられていた。和泉守は火力を全開にする。舐めるように火が鉄をつたった。

いくつか調味料をたしたあと、彼はついでに汁物まで作ってくれた。冷めないうちに食べろと顎でしゃくるので、一緒に食べようともうひとつお皿を出す。別に自分だけだったらこんな深夜に夜食を作らない。この男は真面目というか誠実で、私が食べないと絶対に食事を口にしない。勝手に厨を使っていいと伝えて、了承するが傍を離れないので、仕方なしにここへきたのだ。

炒飯はさっきとはまるで別の食べ物みたいに美味しくて、おまけにねぎの入ったスープでお腹があたたかくなる。空になったお皿を眺めながら何が違うのか考えていると、視界に動くものがあり顔をあげる。和泉守は顔の横に透明な瓶をもって控えめにふり、塩、と口を動かした。

しお、と口のなかで呟く。男は満足げに口角をあげる。

 

 

 

 

朝に、燭台切がたずねてきた。こんのすけに肩を叩かれたので振り返ると、困ったように眉をさげた男が立っていて、前に組んだ指先をこすり合わせるようにしている。何か言いかけたので、首を振り聞こえないと伝えると、衝撃を受けていた。

いったい何をしにきたのかわからないけれど、近くに置いてあるメモ用紙に、“何も気にしなくていいからここへは来ないで”と書いて渡した。すぐに、もっと別の言い方があったのではないかと思ったが後の祭りで、ちいさな紙を興味深げに見つめた瞳がみるみるうちに光を無くしていく。

みかねた和泉守が、突っ立ったままの燭台切に何か言っている。彼はいまだに、私に危害を加えた彼らを許してはいないみたいで、ここにくる男士たちを番犬みたいに追い返している。悲しげに眼を伏せた燭台切は冷たい廊下に戻っていった。漂う哀愁がすごいので、こんのすけに彼は何をしにきたのか聞いた。

――謝りたいそうです。

またそれか、とがっかりした。謝らなくて良いというか、もう顔を見たくない。机に突っ伏して顔を横に向ける。心配そうにのぞき込んでくる狐の鼻をついと押した。腹立たしいのは――刀を向けられたことではなくて、過去を丸裸にされたことだ。映画鑑賞のようだったと、思い出すたびにつらい気持ちになる。

執務室に来たのは燭台切が初めてではなかった。他にも何人か訪れていたけど、意外なことに、とりわけ回数が多いのはへし切長谷部だ。最初のころは丁寧に断ったが途中から面倒になり、こんのすけにいないと言ってくれと伝えた。完全な居留守だし、きっとばれているだろうが罪悪感はなかった。廊下で鉢合わせるとめげずに絡んでくるので、和泉守に頼んで、気配を感じたら避けるように心掛けていたが、和泉守は偵察が苦手なのかたびたび出くわしてしまう。そうすると地獄だった。

先日、お昼に本丸を調査していたときのことだ。穏やかな空気が流れる冬の庭を眺めていた。薄く雪が積もっていたが人が少ないし庭を駆け回る短刀がいないので、地面は踏み荒らされておらずまっさらなままで、思わず立ち止まってしまう。和泉守は気づかずに先を進んでいく。

空からおちてくる雪を目で追っていると、横から手が伸びて体が引っ張られる。近い場所にあった和室に引き摺り込まれたと分かったのは壁に押し付けられたからで、悲鳴をあげることはできなかった。口を抑えられ体を捩ってもびくともしない。押さえつけるように太ももに足が入り込んでくるのに気がついて恐怖と怒りを感じた。嫌がらせをしたいのか。そんなに人間が憎いのか、と、ありったけの感情を込めて下から睨みつける。だけど男の眼は悲しみに沈んでいて、予想とは全く違うものだった。好戦的な気持ちがみるみる小さくなっていく。男は抵抗しないと分かると腕の力を緩めた。

体を心配するように腕に触れる。肩から腕、手のひらにたどりつく。相手は真面目な顔をしていて、負傷している箇所がないか調べていることに気付くとおかしくて、ついわらってしまった。白い手袋に包まれた指を握り返すと目をあわせて、ほっとしたような顔を浮かべる。眼は口ほどにものをいうとはよく言うけれど、この時ほどそれを感じたことはない。刀は苦しそうだった。私がひとこと、許すと言えばいくらか救われるのだとわかった。

刀はもう一度何かを言いかける。一瞬のまぶしさに目を細めたら、目の前からいなくなっていた。驚いて見渡すと壁にぶつかるようにして伸びている。いつのまにか障子があいていて、和泉守が立っていた。

大股で近づいてきた男は乱暴に私の肩を掴む。痛くて顔を顰めているうちに視線を上から下へと走らせ、両手で頬をはさんだ。冷たくて眼を瞑る。視界が闇で満たされた。てのひらの感触が消えたのでおそるおそる眼をあけ、飛び込んできた光景に悲鳴をあげそうになった。和泉守が長谷部の胸ぐらを掴んでいた。何を言っているのかさっぱりわからないが、大声をあげていることだけは背中からわかった。そして、とんでもなく怒っていることも。

目を閉じていたのは数秒の間であったはずなのに、いつのまにか和泉守の右手には刀があって、彼らの本質が人間でないと自覚してぞっとする。つかまれた男のほうはまるで抵抗せず、むしろ斬られることを望んでいるように見えた。和泉守の後ろへ、飛ぶように抱きついて右手ごと押さえる。男は反発するように、右腕を外側にやろうとするので、必死に押し戻した。頭を押し付けながら、やめてと言うと、徐々に力が抜けていった。刀の切っ先が下を向く。もう大丈夫だと確信して体を離すと手を引っ張られて廊下へと連れ出される。振り向くと、壁に背を預けた長谷部と目があった。感情の読み取れない、暗い目をしていた。

力任せに引かれるまま、真っすぐに突き進む。前を行く男の背中から怒気が出ていた。てっきり執務室に行くのかと思ったが予想ははずれてとおりすぎてしまう。どこに向かっているのか不安になり足を突っ張って抵抗すると、目についた障子を引き突き飛ばすようにされ室内に入った。畳にころがることはなかったが乱暴な扱いをされていらいらとする。乱れた息を整えながら和泉守を見ると、男はなぜか後ろ手に障子をしめた。季節は冬で、障子を閉めるとすぐに部屋は暗くなる。闇のなかで、瞳だけが爛々と光っている。さきほどとはうって変わって、ゆっくりとした仕草で近づく雰囲気がおそろしくて、近づいたぶんだけ後ろにさがるが背中が壁につき行き止まりになる。そうしているうちに距離をつめた男は高い位置から見下ろしてくる。瞳は怒りに燃えていた。青い炎は赤いものより温度が高いときくが彼の瞳はまさにそれで、内側であふれる怒りを必死に押しとどめようとしている。

 

 

 

 

 

――それは主さまが悪いですね。

疑問ではなくて断定的な言葉を使われたことにショックをうける。こんのすけを膝にのせながら、ぱたんとパソコンをとじた。とうの本人は素知らぬ顔で伸びをする。どうしても徘徊したくなったら(この言葉選びにも悪意を感じる)私でもいいので呼んでくださいと狐はいう。珈琲が飲みたくなったので、狐を抱きながらたちあがる。和泉守はいない。少し席を外している間に消えていた。彼はまだ怒っているのかもしれない。こんのすけは腕のなかでぬいぐるみのようにおとなしくしている。

厨までは一度外に出ないといけないので面倒だが、途中の景色は気に入っていた。裏庭は人目につかないからか花が植えられておらず殺風景だ。枯草ばかりでなんにもない。奥には森があるが遠くは雪のせいで白くぼやけていた。ぼんやりと、向こう側にかかる小さな橋を眺めていたら、黒い人影が目に入った。池の手前にそれはいた。見間違いかと思って眼を凝らしたが見間違いではなく、驚いて腕のなかのこんのすけを落としそうになる。狐に伝えると彼も驚いて、首をかしげていた。

裏庭に足をむける。こうしているうちに居なくなっていたらと思ったけれどそれは杞憂だった。建物を回り込むように進むとまだ男は立っていて、どのくらいいたのか肩に薄く雪がついていた。風が冷たい。一心に池のほうをみているのでよほど面白いものがあるのかと興味が湧き、そっと横から覗けば、水面が凍っていただけなので落胆した。すぐそばまできたので、気配に気づいているとは思うが男は振り向かない。狐と目を合わせると、彼は励ますように頷いた。声をかけたいと思ったが、耳が聞こえないのでどう発声したらいいのか分からない。だけど今はどうしてか、名前を呼んであげないといけない気がした。

――燭台切光忠。

伝わるはずがないと思ったが、予想に反して、ゆっくりと振りむいた男がなにか呟く。抜け殻じみたようすで、目はこちらを見ているようでみていない。疑問がいくつも頭に浮かんだが、とりあえず服についた雪をはらってあげた。腕を引いて玄関のほうに誘うと、男は素直に歩き出す。心配になってようすをうかがう。見返してくる顔には覇気がまるでなくて、なんとなく死人を想像させる。

 

 

 

 

ほんの数分のことだった。厠にいって戻ると、女が居なくなっていた。さきほどまであった気配が消えていて、嫌な予感とともに障子を引くと、座布団と食べかけのみかんが放置されていて、肝心の姿がなくなっていた。また勝手に消えた。盛大な舌打ちがとびでる。

脳裏に先日の光景が浮かんだ。少し目をはなした隙に女は消えていて、心臓が縮むような心地がした。あたりを探して走りまわり――案外近くにいたのだが――暗い和室で壁にへばりついている女と男を目にした瞬間、勝手に右手が動いていた。

探しにいくため勢いよく障子をあけると、ちょうど探そうとした人がいて、

「うおっ」

と変な声をあげてしまう。驚いたのは相手も同じだったようで、女は後ろに飛びのいた。勢いあまって庭に落ちるかと思ったが、隣にいる男に背中を支えられて踏みとどまる。

「どうしてお前が一緒にいるんだよ」

「いや、連れてこられて……。僕も、彼女が何を考えているかわからない」

燭台切光忠は、弾かれたように手を離し床に視線を落とす。女はしゃがんでこんのすけを置くと、一緒に執務室の奥、いつも寝室として使っている部屋へと向かい、布を手にして戻ってきた。まっすぐ男に近寄ると肩に押して軽くたたくようにしている。そこで、燭台切が濡れていることに気が付いた。

「びしょびしょじゃねぇか」

「すぐ部屋に戻るよ。えっと、なに?」

女は燭台切の腕をつかむと廊下に出る。こんのすけは二人の背中に向かって、

「すぐ準備をしておきますね」

と声をかけた。

 

 

この状況はいったいどういうことなのだろうかと、頬杖をつきながら和泉守は考える。和室の中心では、風呂あがりで水滴のおちる男の髪を、審神者がタオルでわしわしと拭いていた。燭台切ははじめこそ抵抗していたが審神者が有無をいわさずに手を動かすので、なすがままとなった。こんのすけは気をつかって、「痛くないですか?」などと声をかけながら、まわりをうろうろとしている。

「どこか痒いところはないですか」

「ないよ」

「不快でしたらおっしゃってくださいね。私が通訳しますので」

「……不快ではないよ」

こんのすけは、そうですか、と答えたのち、疲れたのか女の隣に座って一息ついた。髪を拭くのはいつのまにか終わっていて、こんどは肩をマッサージしている。燭台切はどこかぼんやりとして、眠そうにみえた。

「なぁ。そろそろ話してもいいだろ。何があったんだ」

燭台切にたずねる。正面に移動した女が俯き気味で手を揉んでいる。狐は世話焼きなのか、女にも細やかに声をかける。(主さま、指先に血流がいくようにうごかしてくださいね。そう、お上手です)男は始終ぼんやりとしていて、和泉守の質問にこたえない。あきらかにようすがおかしいと眉をよせたとき、狐が口をひらいた。

「雪のなかにいたのです」

「どうして」

「さぁ、私にもなにがなんだか……」

和泉守は訳がわからないと天をあおぐ。どうせ答えないのだろうなと思いながら、

「あんたら、いつもなにしてんだ?」

と訊くと、「眠っているよ」 と返事がかえってくる。

「昼から寝てんのか。いい身分だなぁ」

馬鹿にする意味はなく思ったことをそのまま口にしただけだが、燭台切はそうとは受け取らなかったようで、むっとしたように顔を顰めた。

「力を使わないようにしているだけだよ。出陣もないから」

思い返してみれば、廊下を歩くたびに目にうつる和室には人の姿がなく、刀かけに本体だけが置いてあった。普段は刀の姿に戻っているらしい。たしかに、人の姿でいても出陣はないし消費するだけで効率が悪い。和泉守は納得して頬杖をついた。

「あと何回、人の姿になれるかわからない。自分の存在が、どんどん、あやふやになっていくのがわかる。不安でたまらない……それで、気が付いたらあの場所にいた」

燭台切の呟きを最後に沈黙がおちる。それをやぶったのはこんのすけだった。

「主さま、そのまま触れていてください。わずかでも楽になると思いますよ」

意図を理解したのか頷いた女は手袋ごしにゆるく握る。燭台切は最初こそ恥ずかしそうにしていたが、女がやめないとわかると力を抜いた。狐がすかさず口をひらく。

「せっかくですのでこのまま手入れを受けてみてはいかがでしょうか。彼女は驚くほどに料理ができませんが、手入れは上手ですよ」

「そうなの?」

「包丁を握らせてはいけません。こんのすけは主さまと二人きりの頃、きゅうりの輪切りを作ろうとして、指の先を斬り落としそうになったところを見ております」

当時を思い出しているのか、こんのすけは眉間に皺を寄せた。燭台切は軽くうつむくと肩を震わせる。笑っているのだ。

狐の言葉通り手入れを行うことになり、女と刀は別室に移動した。和泉守は一応ついていったが、手入れはものの十分で終わった。少し離れた場所で、燭台切は正座して作業のようすを眺めていた。じっと手元を見つめているので、審神者は気まずそうにちらと視線をよこした。だが助けてもらえないとわかるとすぐにあきらめて、実際に手入れを始めるとすっと集中していくのが傍目にもわかった。自身の本丸では手入れ部屋には審神者と男士を隔てる衝立がしており、このように手元をまじまじと観察することはないので、興味深い。繊細な手つきでばらした刀を組み立てると、審神者は狐に目配せした。

「終わったようです。お部屋にお戻りになってかまいませんよ。本体は後ほど届けます」

「どうするの?」

審神者は、障子の近くまで、のろのろとした動きで移動すると足を崩して座った。刀を膝のうえに置いて、ぼんやりと外を眺めている。左手で鞘を握っていた。こんのすけはちらと視線を向け、

「ああやって直接触ることで、主さまの気を分けます。微力ですが、新しい審神者様が見つかるまでは人型を保つのに十分もつかと思います。倦怠感も無くなりますよ」

と説明しながら、さりげなく廊下へといざなう。光忠はその場から動かずに、ひかえめに訊ねた。

「僕もここにいていいかな? 傷付けるようなことはしないから」

狐は面食らった顔を浮かべたが、いそいでいつもの調子に戻ると、

「えぇ、もちろんです! 言いにくいですが、主さまに危害を加えないように、少しの間まじないをさせていただきますね」

と言い、燭台切は了承し促されるまま手の甲を差し出すと、そこへ判子を押すように狐の前足が押し付けられる。こんのすけはお礼を言うと女の横に戻った。燭台切も遠慮がちに女との距離をつめると、手を伸ばして本体に触れる。すべるように移動し、女の手を覆うように乗せられた。大きな体を丸めるようにして俯いてしまう。女は一部始終を不思議そうに眺めていた。和泉守はそっと席を外すために立ちあがる。障子を閉める直前でたしかに、囁きに似た謝罪が耳に届いた。

 

 

 

 

次の日、審神者はいくつかの刀の手入れを行った。おそらく燭台切が、手入れの感想をほかの刀に告げたのだろうと、和泉守は部屋の外で待ちながら思った。女は仕事が丁寧で――これはおそらく物にしかわからない感覚だが、不思議と言葉がなくても伝わるものがある――すみずみまで大切に扱ってくれるから、終わったあと、幸福な気持ちに包まれる。

女の持つ本丸の刀が、彼女がどれだけ刀に対して未熟な態度をとっても付き従うのは、この手入れがあるからだと、和泉守は思っていた。

「なぁ、きみもそう思うだろう?」

「主さまには伝わっていませんよ」

「こんのすけ、通訳してくれ」

「いやです」

部屋のなかから刀の賑やかな声が聞こえる。手入れはとっくの昔に終わっていた。きっと審神者は、自分の本丸の刀ではないから、いつまでも居座る男に対して、無下にもできずに困っているだろう。その姿がありありと想像できて、和泉守はすこしだけ笑った。