すくわない(27)
「やーっと出てくる気になったか」難しい顔をして立ち尽くしている男に和泉守は声をかける。長谷部は苦々しい顔を浮かべた。「お前が、この女に、くだらないことを言うから……!」「どうせ聞こえてねぇよ。もう忘れたのか」はっとした顔をしてから、情けなく…
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すくわない(26)
目を覚ますと朝の光であふれていて、避けるように寝返りを打った。反動で、首元にいたこんのすけが畳にころがっていく。眠くて布団にもどす元気がなく、ごめんと心の中で呟きながら体をかたくしていると狐が戻ってきたので、手を伸ばして布団のなかにいれる。…
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すくわない(25)
みかんの表面に血管のように張り付いている白いすじを丁寧にとりながら、今日の予定を考える。ここに一番栄養があるんだよ、と過去に誰かが言っていた。だけど、口に入れたときの触感が苦手なので、ひとつひとつ取りのぞく。忠告してくれたのはおそらく燭台切…
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すくわない(24)
最近の主は張り詰めた糸のようだった。表面上に変わりはないが言葉にできない危うさがある。朝礼以来、仲間はどこか萎縮している。夜、和泉守は刀の部屋に呼ばれた。彼らは非番のときは基本的に暇なので時間を持てあましている。部屋についてみると妙に騒がし…
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すくわない(23)
「大丈夫?」肩を揺さぶられて薄く目をあける。横には眠る前とおなじく若い男がいた。正座して側にいるのは主である女で、さっきまでの記憶が蘇って反射的に身を捩り、伸ばされた手をはじいた。室内の空気が二度くらい下がった気がするが、弁解をする間もなく…
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すくわない(22)
あんなに体が痛かったのに手入れ部屋で数時間過ごし、目を覚ますと嘘みたいに苦痛は消えていた。負傷した翌日は体を慣らすために休みをあてられる。鞘の汚れが気になったので、日差しがやわらかくおちる縁側で布巾を片手に乾拭きしていると長曽祢虎徹がたずね…
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すくわない(21)
その日は朝からやることがなく暇で、ぼうっとしていると廊下のほうがざわざわとしていることに気がついた。堀川国広が顔をあげる。青い目が庭を射抜くように見つめ、だんだんと大きくなる。「どうした」畳でころがっていた体を起こしたずねる。国広は猫みたい…
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すくわない(20)
▼ 人の悲しみはどうすれば癒えるのだろうと、最近そんなことばかり考える。静かな朝だった。障子から差し込む光がまぶしい。上体をおこし、ぼんやりと外を眺める。障子はなぜか少しだけ空いていて(本丸では猫を飼ってい…
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すくわない(19)
永遠とも思える時間を揺られていた。正確には測っていないが、体感的に六時間ほどは乗っていたのではないかと予測する。窓が大きくて、景色は遠くまで見渡せた。街から離れていくにつれて緑でいっぱいになる。だが、段々と日が落ちて夜になるとほとんど真っ…
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すくわない(18)
きっかけは一通のメールだった。懇切丁寧な文章で、どうにか本丸の淀みの原因をつきとめてほしいという内容が書いてあり、重い腰をあげる。足元に寄ってきたこんのすけを抱きよせまわりを見渡すが、和泉守は席をはずしていたので、書き置きだけを机に残し外に…
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すくわない(17)
昨夜はひどい悪夢を見てしまった。暗闇を転げるようにして化け物から逃げる夢だ。ずりずりと這いずるような音が後ろから迫ってくる。細く伸びる影。異形の妖怪が、どこまでも追いかけてくる。肺が燃えそうになるほど走るが、足を動かしてもおもうように進まず…
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すくわない(16)
それから、夜になると決まった時間に和泉守と厨で夜食を作ることが日課になった。だいたい、お風呂に入ってからゆっくりしていると、畳に深い影が伸び、しぶしぶと立ちあがる。軽食を作り、監視されながら食べた。人は水だけでも生きていけるらしい。私自身の…
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