すくわない(23)

「大丈夫?」

肩を揺さぶられて薄く目をあける。横には眠る前とおなじく若い男がいた。正座して側にいるのは主である女で、さっきまでの記憶が蘇って反射的に身を捩り、伸ばされた手をはじいた。室内の空気が二度くらい下がった気がするが、弁解をする間もなく女は政府の男とむきあった。

「目が覚めたようです。これで終わりですか」

「はい。結果は合格でした」

「体は大丈夫なんですか。ずいぶん……ようすがおかしいけれど」

置いてきぼりのまま会話が進んでいく。和泉守は酔っているような動きで億劫そうに立ちあがるとなんとか体制をたてなおす。やっとのことで審神者の横に並ぶが景色が揺れていた。眩暈がおさまらない。女は一部始終を冷ややかに眺めている。

「少々意識が混濁しているだけです。現実の体に傷は一切ありませんよ」

「……そうですか」

「結果はあらためて送りますが、良好でしたよ。いい刀が降りてきてくれましたね」

女はなんともいえない表情をしていた。「それはよかった」と呟き曖昧に笑う。かわいそうなくらい愛想笑いが下手だ。軽い挨拶をすませ出口へ向かった。追いかけるが足がよろけてしまい、先に扉の外に出ていた女が、遠慮がちに手を伸ばした。困惑したまま白いてのひらを見つめていると、女は眉を寄せて、すぐに引っ込める。

一度建物からでる。てっきり街が広がっているかと思ったら急に森に出たので驚いた。二人で同時に振り向くと、さきほどまでいた建物は跡形もなくなっていた。

森のなかは薄暗い道が続いている。政府の施設から飛ばされたということは本丸の近くなのだろう。そう予想をたてて、歩いてみることにした。平静を装っているが心のなかは穏やかではない。和泉守は数分前の光景を思い出していた。実際の体になにかされたわけではないが、感触や空気、匂いなんかもとても現実のようで、なかなか戻れない。

水の音がしたので立ち止まる。道はなだらかな坂になっていて、登ってみると大きな湖が唐突にあらわれた。水が澄んでいて底まで見えた。少しばかり休みたい。そんなことをふと思うと横にいた女が、

「疲れたから、ちょっと休憩していこう」

と呟く。返事を待たずにその場に座って靴まで脱ぎ出した。ボトムをふくらはぎまでまくると遠慮なく水に突っ込む。しばらく迷ったが隣に腰掛けて胡座をかいた。女はぼんやりと前を向いていて、沈黙が痛い。仲間と一緒のときは軽口を叩くところだが相手は主だ。なにを話していいのかわからないまま、気まずさだけが残る。

「あのさぁ」

「ん?」

女から話しかけてきたくせに、ぷつりと言葉が途切れてしまう。辛抱強く待つと、女は振り向いた。色素の薄い瞳がまっすぐに男をとらえる。

目をあわせると、心臓が糸で絞られていくような心地がする。頭上を鳥が飛んでいく。視線が己を通り越して奥に向かうと、驚いたように丸くなった。後ろで草を踏みしめる音が響き、体が勝手に動く。立ちあがりざまに鞘を抜くと鉄の弾けるような音がした。死角から飛び込んできた黒い刃を受け止める。目の前にいたのは黒い甲冑に身を包んだ敵そのもので、なぜ、と思う間に今度は後ろからばしゃりと大きな水音がした。

敵は無遠慮に刀を振り下ろしてくる。いなしながら刀を右にながすと敵の首に刃を突き立てる。破裂音のあと、首が胴から離れどこかに飛んでいった。図体がでかいわりに手ごたえなない。ごろごろと転がる首を目で追っていたがすぐ我に返り、湖へ駆け寄れば女の体が半分水に浸かっていた。じわじわと水が赤く染まっていく。眠っているように目を閉じている。水からひきあげる最中もぐったりとして反応がない。

体からしたたる水が毒々しく赤い。慣れすぎている色に恐怖が襲う。切られたのは脇腹で、服がななめに裂けて隙間から肌がのぞいている。思ったより深く、肉まで見えた。失血がひどいためか顔色がみるみる青白くなっていく。

「うそだろ?」

手が馬鹿みたいにふるえる。刀剣男士だったら、派手にやられたなと同情して終わるくらいの傷だ。だが人間にとっては違う。死という一文字が頭に浮かんだ。

とりあえず止血しないといけない。戦装束の袖を破ろうとしたとき、近くの茂みが動いた。片手で刀を持ちなおし女を抱き寄せる。また敵だろうか。早く処置をしないと間に合わなくなる。

数秒が永遠に感じられた。額から汗が流れて地面に落ちる。草がゆれて、いよいよ刀を構えなおす――が、ひょっこりと顔をだした人物を目にして、安堵の息がでた。

「国広……」

「あれ、兼さんどうしたの?」

かけよってきたのは堀川国広だった。身軽な動きでそばまでくると、手のなかで動かない女に視線をおとす。一瞬で状況を把握したのか表情を変えた。

「腹を斬られたんだね。大丈夫、まだ助かるよ。遠征帰りで、たまたまここに立ち寄ってよかった」

「血がとまらねぇ。どうしたらいい」

口からでたのは自分でも驚くくらいに情けない声だった。傷口にぎゅうぎゅうに布をつめてうえから圧迫する。触れている布はみるみるうちに湿っていった。

「早く本丸に戻らなきゃ。近くにゲートがある。本丸の場所を教えて。僕が繋げるから」

「そ、そうだな。場所は――」

本丸の場所は部隊長を任される刀しか知らない。理由は明確に聞いたことはないが、あるていど信頼できる者に任せたいのだろうと歌仙が言っていた。実際知っているのは十にも満たないが、なぜか和泉守はそのなかに含まれていた。

具体的な座標は決して口外しないでください。たとえ仲間であっても――と、記憶のなかのこんのすけが淡々とのべる。言いつけ通り、今まで誰にも伝えずにいたし、それは他の部隊長もおなじだった。選ばれたことを誇りに思っていたからこそ、誰も口外することはなかった。だが今は非常事態だ。混乱しながらも口をひらくと、言葉が勝手にこぼれ落ちていく。

「……そうだ、隊長が近くにいるだろ。そいつに状況を伝えてくれ。ゲートもそいつに繋げてもらうんだ。オレは主の手当てを続けるから」

「駄目だよ。みんな離れたところにいるんだ」

「なんで、」

かぶせ気味に言い放つ脇差の言葉に違和感がかけめぐる。たまたまこんな場所で会うことなんてあるのだろうか? 近くに仲間の気配もない。パニックになりながら、もう意識がない女の手を握る。怖いくらいに冷たい。まるで死んでいるみたいだ。

「悠長なこと言っている場合じゃないでしょう⁉︎ もう埒があかない。僕が運ぶよ」

伸ばされた手を振り払うようにして主を横に抱き抱える。返事をまたずにゲートがあると言われた方角へ向かった。背中に怒号がふってくる。自分でもおかしいと思う。これで間に合わなかったら。絶望感で吐き気がしてくる。

「死ぬなよ、頼むから」

近い場所にある頭へ頬を擦り付けるようにしながら哀願する。必死なよびかけに閉じていた目が薄くひらいた。どんどんと生気が抜けていく。まるで消える寸前の蝋燭みたいだ。小さな光が男をとらえる。女がなにか言いかけたとき、前方から花びらがいくつも落ちてきて、鈴の音が響いた。突如、目の前の空間からこんのすけが飛び出てくる。

「大丈夫ですか!」

「あぁ、良かった……! こんのすけ、主が」

「政府の施設まで転送させましょう」

ちょうど腕のなかに着地したこんのすけが女の顔をのぞきこむ。

「あら」

と、のんきな声が静かな森に響いた。

「あぁ〜、ちょっと遅かったですねぇ。新しい審神者を用意しないと」

足をとめると、軽い音を立てて地面におりたこんのすけが、何事もなかったかのように前を歩いていく。揺れる尻尾から視線を下にむける。俯いていて顔がよく見えない。力の抜け切った体は両手に重くのしかかる。

「なぁ、冗談だよな。寝たふりしてんだろ」

女はこたえない。じわじわと胸元に赤色がひろがる。上から抑えるとやけにあたたかく、ぬめる感触に意識が遠くなる。底の見えない暗闇におちていく感覚。

こんのすけは振り返ると、丸い目で呆然としている男を無感動に眺めると、こん、と鳴いた。

 

 

 

 

「起きてください、時間ですよ」

ゆさゆさと体がゆれる。薄く目をひらいたと同時に襲ってきたのはひどい吐き気だった。景色が混濁している。そのあいだ、手は勝手に何かを探すかのごとく床を彷徨っていた。

「だめだな。意識が不明瞭だ」

「薬を入れますか?」

「うーん。暴れられてもこまるから、このまま様子をみよう」

世界が横になっている――のではなく、地面に横たわっている。まわりにはコンクリートの壁が張り巡らされていて、男が一人から二人に増えていた。意識がはっきりするにつれて吐き気や眩暈は薄くなる。呻きながら体を起こすと、器具を片付けていた男が顔をあげた。

「ありがとうございました。とてもいい結果でした」

「けっか……?」

あいまいに返事をしながら部屋を見渡すが主の姿はなかった。居場所を聞けば、入り口で待っているのだという。足に力を込めて立ちあがりエレベーターへ向かった。職員のうち一人が律儀についてきて、隣に並びながら勝手に話を始める。

「半分以上は不合格になるんですよ。持ち主が関わるとどうしても判断を誤ってしまうんです」

煩い。斬るぞ、と心のなかだけで毒つく。呼吸が乱れているのを気取られないようにした。あれを夢などとは到底思えなかった。実際に体験してきたことのようで、現実との境界が曖昧になる。ぼうっとした頭で、はやく主の顔が見たいと思った。きっといつも通り不機嫌そうにねめつけてくるだろうが、それでもかまわない。

政府の男は何やら話を続けていたが頭には入ってこず、空返事をかえす。相手は話を聞いてくれていると勘違いしたのか途切れることなく喋っていた。仕事から解放されて気が大きくなっているのかもしれない。そうこうしているうちに廊下の奥まで辿り着き、男は白い壁の一部を押した。壁に切れ込みが入り空間があらわれ、なかに乗り込むと扉が勝手に閉まる。振り向きざま政府の男に目をやると彼は深々と頭を下げていた。

 

 

廊下を出ると広い空間が広がっていて、ここも真っ白だったので少しうんざりとする。遠くに人が立っていたので早足で近づくと、女は振り返るなり怪訝な顔をうかべた。胸に安堵が押し寄せてふっと笑うと、ますます女は眉をよせる。

「大丈夫?」

「おう」

「……痛いことされた?」

さりげなく腕や腹のあたりに視線をやりながら聞かれ、「なにも」と短くこたえる。痛みは与えられなかった。少なくとも、肉体には。だがそれは口にしないでおいた。女はどこか不服そうだったがそれ以上詮索せずに足で軽く地面をつつく。平面に見えた床が微かに揺らいだ。

「帰りはここを通るらしいです」

よく見ると床がおかしかった。円のかたちに揺らいでいる。水たまりのようだが奥まで白くて底が見えない。果てしなく続いているように思えてぞっとした。

「飛び込むんだけど……勇気がいりますね。落っこちるみたいで」

よいしょ、と縁にこしかけると、女の下半身が、床より下が水に埋まる。あ、と思ったときには水に飛び込もうとした。咄嗟に腕を掴む。女は驚き反射的に振りはらおうとしたが、バランスを崩した。それでも腕を離さなかったから、芋蔓式に自分も穴のなかに頭から突っ込むことになり、息を止めた。目をつぶっていても近くに主がいるとわかった。どこか変な時代へ飛ばされないようにさりげなく女の手を握る。

 

数秒後に降り立ったのは本丸近くの山道だった。夕日が山の向こうへ落ちていく。先を歩いていく頼りない背中を視界に入れながら黙々と歩いた。会話はない。だが、長くつづいた沈黙を破ったのは、意外にも女のほうだった。

「あのさぁ」

既視感に心臓が跳ねる。まさかまだ実験は続いているのだろうか。刀を手にしてあたりをみまわす。主は振り返らず、ぽつりと言葉を続けた。

「ほんとうに、大丈夫だった? 体とか」

あぁ、とか、うんとか、適当な返事をかえす。敵の気配はしない。

「――絶対裏切ると思ったから驚いた」

「あんた、内容を知ってたのか」

刀を握る手から力が抜けた。こちらの動揺を感じ取ったのか、主は歩きながら、違うと否定する。

「概要だけ。でも、忠誠心を試されるって聴いて、無理だろうなぁと思った」

全く信用していないと直接告げられ、胸がむかむかした。

「じゃあどうして、選んだんだよ」

「貴方が私のことを、心底嫌いだから」

見慣れた門が視界に入った途端に女が振り向いた。顔の半分が、落ちていく夕日の残光に照らされ赤く染まっている。頭のなかで警報が鳴り響いた。

「知ってるよ。政府に申告したんでしょう? 知らないところで他の審神者と会ったりしてさ。こっちは毎日大変だよ。何がしたいの? 他の本丸に移りたいとか?」

「違う! 聞いてくれ、」

「来ないで。話したくない」

鈍くなっていく頭でも、このままにしてはいけないということだけはわかった。主は敵を前にしたときのようにこちらを睨みつけている。どう誤解を解いたらいいのか思考をめぐらせるうちに、見切りをつけたのか女は身を翻し、門の奥へと消えていった。

 

 

帰城したあと、堀川と歌仙にはひどく心配された。雰囲気が変わったと言われたが自分ではよく分からない。朝の身支度の際、鏡にうつる自分の頬に触れてみたがいつも通りに思えた。どんなことをされたかと聞かれ最初の頃こそはぐらしていたが、数日経っても飽きずにたずねてくるので包み隠さずに教えたら、二人は絶句していた。

歌仙はもともと世話焼きのところがあり、ときどき部屋に顔を出すようになった。朝餉の準備が出来たと伝えにきたので、三人で大広間へと向かう。話題は自然と先日の朝の出来事についてとなった。飯のあと、急にあらわれたこんのすけが、少し残っていてくれと刀に言う。少しのざわつきのなか待機していると主が現れた。手には束ねられた紙が抱えられている。みんなが見守っていると、彼女は大広間の中央まではいかず、入口付近で立ち止まると声をだした。

「先日、私が審神者として勤務を怠っていると政府から指摘がありました。目をつけられるくらいだから、未熟な部分があったのだと思います。迷惑をかけて、ごめんなさい」

ぺこ、と女が頭をさげるとたちまち広間にどよめきが広がった。収集が付かなくなるまえに、女が手に持っていた紙を顔の位置まであげる。

「みなさんに言ってなかったのですが、どうしても本丸が嫌になったら移動することも可能です。そのときはこの紙に名前と理由を書いて私のところまできてください。紙は内番とかを貼っている所に置いておきます」

何か質問はありますか、と女は広間をぐるりと見まわしながら問いかける。刀たちは唖然としたまま主を見つめているだけで、口をひらくものはいなかった。それを肯定ととったのか女はひとつ頷くと、「以上です」と短く言い残し背を向ける。

主の姿が見えなくなったとたん、「今のどういうこと?」と誰かが呟く。それを皮切りに皆がしゃべりだしたので、鉢の群れが飛んでいるみたいに騒々しくなった。いたるところで、さまざまな憶測が飛び交う。誰かが部屋のどこかで「主は審神者をやめるつもりなんだ」と言ったのを最後に室内はしんと静まり返った。重くるしい沈黙をやぶるように、部屋のすみで誰かが「妄想甚だしいな」と呟く。

「ちょっと伽羅ちゃん、そんな言いかた良くないよ」

視線が一点に集まる。制止するように伸ばされた腕を振り払いながら、大倶利伽羅は皆が注目していることに気づき、舌打ちをする。しぶしぶというように口をひらいた。

「ここでごちゃごちゃ言っても意味がない。本人に聞かないかぎり、真意は分からない」

「そうだ! 確認してみようよ」

飛び跳ねるような勢いで乱が言った。その言葉に、「行くとしたら光忠だな」と、近くにいた男が呟く。

「え、僕?」

まわりの空気が若干穏やかになり、光忠はわずかに眉を下げた。お前しかいないと肩を叩かれ押し出されるようにして廊下に出たが、気が進まないのか最後までぐずぐずしている。

「どうしても行かないと駄目かな?」

光忠は片方の目でぐるりと部屋をみわたすと、諦めたようにため息をついて執務室へと向かった。

 

 

数分後、どたどたとらしくない足音を立てて彼は帰ってきた。

「ねぇ! 近侍おろされちゃったんだけど!」

かわいそう、と誰かが呟く。自室に戻った男士は半分くらいで、まだ多くの刀が広間に残っていた。

「それでどうだった」

「どうもなにも。特に理由はないらしいよ」

片手で髪をぐしゃりと握りながら光忠がこたえる。相当ショックだったのか、心を落ちつけるかのように髪をなでている。

「結局理由はよく分からないままか」

「じゃあ仕方がねぇなぁ」

まず獅子王が部屋を出て、それを皮切りに男たちはぞろぞろと廊下へと向かった。和泉守はその場から動けずにいた。おおきくひらいた障子の向こうに庭が見える。もう時刻は昼に近い。鳥が鳴きながら木のあいだを飛んでいった。庭はのどかで美しかったが、和泉守はまったく景色を見ていなかった。頭のなかにあるのは先日の真っ赤な夕日だった。

「大丈夫かい?」

いつのまにか隣にきた男が声をかける。近侍をおろされて気落ちしているだろうに、それを微塵も感じさせない優しい声色でたずねてくるので、余計心が揺さぶられる。

「さっき主と話してみたけど、元気だったから心配いらないよ」

「……れ」

「ん?」

「オレのせいなんだ」

音が遠くなる。隣で光忠が何か言っているが頭に入ってこない。俯き加減で廊下に出る。まっすぐに部屋へと戻っても堀川に心配されるだし、心を落ち着けてから帰ろうと思い外に出た。あまり目につかない道を選んで奥へと足を進める。行き先はどこでも良かった。さくさくと地面を踏む足音を耳に入れながら先ほどの内容を反芻した。女の行動は、燭台切が本人から聞いたように、取り立てて意味はないのかもしれない。少なくとも、俺以外の刀にとっては。別の本丸に行ってもいいから。朝礼での言葉は、きっとほとんど、俺に対して言っていた。被害妄想に近いけれど、どこかで直感的に確信している。

赤い太鼓橋が目に入り、ずいぶん遠くまできてしまったと驚いた。疲れたので欄干に浅く腰掛けるようにして休む。池をぼうっと眺めていると、岩のうえに黒い亀がいた。甲羅を干しているのか微動だにしない。呑気な景色がひろがっている。おだやかな時間が流れているが、ざわついた心はおさまらない。むしろ、かえって気持ちが悪くなってくる。思えば最初から主とは相性が悪かった。腹に抱えてふさぎ込み勝手に自滅していくのをみていると苛々とした。こちらの感情が伝わるのか、向こうも苦手意識を持っているとわかる。目があってもそらされる。話しかけようにも逃げられる。真っ向からぶつかりたい。まどろっこしいことは苦手だった。

「こうなっちゃ、おしまいかもな」

ため息とともに自重気味に笑うと少しだけ心が上向いた。それは諦めに近い。こんなに孤独な刀、他の本丸にはいないかもしれない。そんなことを考えながら顔をあげたとき、人の姿が目に入った。遠くの、本丸から続く道を、スーツを着た男性が俯き加減でもくもくと歩いている。なんどか本丸に来る担当者だった。主とはあまり仲が良くない。政府の人が全員そうではないが、この男はときおり馬鹿にしたような態度をとる。それは直接言葉にしたりするわけでなく、仕草や身にまとう空気から醸しだすのだった。

「よお」

さりげないふうを装って近くまで行き声をかけた。広い庭をスーツでひとり歩く男は、景色のなかでどこか浮いていた。おなじ人間である主は、気のぬけた服装でいても、けして浮かないというのに。

「門まで送ってやるよ。荷物もつぜ」

「あぁ、え? ありがとう」

男は刀の存在に気が付いていなかったのかひどく驚いていた。申し訳ないなと思いながら手を差し出すと、男は会釈をしながら荷物を渡してくる。なかに書類が入っているのかずしりと手に重い。

ゲートまでは長いようで短い。聞きたいことがあるがどう切り出したらいいかわからない。とりあえず足を進めていると、男が先に口を開いた。

「実験に協力してくれたらしいね。成績が良かったのは君のおかげだよ。主である彼女は軽く流してたけど。冷めた人だよね」

急に求めていた話題がでて驚いたが、口調からこのまま続けてもいいと判断した和泉守は続きをうながす。

「今回の成績が良かったから、とりあえず本丸は存続できるかな」

「まわりくどいのが苦手だから単刀直入に聞くが……政府は、あいつを辞めさせたがっているっていうのは本当か?」

心臓がばくばくと音を立てた。それなりに切り込んで聞いてみたが、こたえは意外とあっさりしたものだった。

「えぇっ? なあに?それ。外部から進言があったから観察対象にはなったけれど、そこまで大事になってはいないよ。政府は審神者にはなるべく続けて欲しいんだ。……だけどね」

急に足を止めた政府の担当者は振り返る。口元に笑みを浮かべているが目は笑っていない。

「男士が意見すると別だよ。結局、戦力の主たるものは君たちなのだから。何かあるなら僕から」

「いや、いい」

思いのほか低い声が出た。顔を覗き込んできた男が、目が合うと怯んだように一歩後ろにさがる。男はわずかに怯えを含んだまま、鞄のなかをかきまわし、1枚の紙を取り出した。

「これ、僕の連絡先」

手のひらサイズの名刺を受け取る。名前の欄だけインクの色が変化していた。珍しい苗字だったが、きっと偽名なのだろう。

「君たちは道具だ。でもある意味、彼女たちだっておなじってこと。荷物持ってくれてありがとう。助かったよ」

いつのまにか門の前まで来たようだ。荷物を受け取った男は笑顔を浮かべて礼を言うと、門の外へと消えていった。