掌編

歌仙と見習い

歌仙兼定は笑わない。とはいえ仏頂面というわけでは決してなく、むしろ逆で、つねに淡く微笑んでいる。彼のことをやさしい刀だと人の子は言うが、それは全くの間違いだと彼自身は思っていた。庭に咲き誇る花に目を細め、口角をほんの少しあげる。――目で、耳…

臆病な鼓動ふたつ

※お題箱より貴方の左心房を、僕に下さいの二人の来世 教室の窓際に立って外を眺めていた。よく晴れていて、グラウンドでは、陸上部が延々とコースを走っている。長距離走の練習をしているのだ。同じ場所を、一定の速度で走り続ける姿を眺める。マ…

鉄。あるいは、それとよく似たもの

※お題箱 歌仙兼定が神様っぽい歌さに  隣の席のゆうくんは、いつも日に焼けていた。とりわけ夏になると、休み時間のチャイムと共にグラウンドにくり出し、プールでは常に全力で水しぶきをあげるので、表面を焦がしたパンのようになる…

目を閉じれば柔らかな暗闇

模造刀を抱えながら廊下を歩く。いまにも雨が降り出しそうな灰色の雲が空をおおっていた。黒い刀を抱えなおし、横目に庭を眺める。あいもかわらず見事な庭園に、ほんの少しだけ心に影がさした。だけどその理由がいまいち自分でも分からず、憂鬱な気持ちを振り…

馬刺しよりも美味いもの

父は、言葉を選ばずにいうと、クズと呼ばれるような男だった。仕事は鉄工場の作業員。毎日埃臭い作業着を身にまとい、重い作業靴をはいていた。父という人間の引き出しをあけてみると、酒、たばこ、女しか入っていない。おまけに趣味はパチンコで、三十代前半…