地下鉄の六本木駅で降りる。
自然が少ない都会の中でも、かすかに秋の空気を感じた。日がすっかり落ちているが、街は街灯やお店の明かりで比較的明るい。スマートフォンでさりげなく地図を確認しながら、目的地まで歩いて行く。膝丸は、後ろから大人しく着いてきた。
チケット売り場で二人分のチケットを買って、展望台までのエレベーターに乗る。五十二階まで一気に上昇した。気圧の変化だろうか。耳に届く音が、ふっと遠くなったように感じた。エレベーターを降りて、まっすぐ歩く。
「……うわぁ」
私は、感動のため息を吐いた。目の前に東京の夜景が広がっていた。地上からは想像できない景色が、惜しげもなく広がっている。映画のスクリーンのように大きい窓に近づいて、景色を見下ろした。車が、とても小さい。まるでミニカーみたいだと思った。高速道路沿いに、車のテールランプが連なって光っていて、ちかちかと光が煌めいている。高層ビルが、数えきれないくらい並んでいて、まるで一つの生き物のようだと思った。結構遅い時間なのに、煌々と光が灯っているのを見て、心の中で、お疲れさまですと呟く。
隣の膝丸を見上げると、彼も感動しているようだった。
「……これは、すごいな」
普段より大きく見開いた瞳を見て少し満足する。
「これで、終わりじゃないんだよ」
言いながら、困惑している膝丸の腕を引いてゲートへ向かった。
「外だと、結構風が強いね」
風に遊ばれる髪の毛を押さえながら言った。この展望台は、天気がいいとヘリポートに出られるので、特に好きな場所だった。
目の前に、またもや東京が広がっていた。先ほどの大きな窓越しに見る景色もいいけれど、何も遮る物の無い中で見る夜景は本当に綺麗だった。今日一日でたまったイライラや、ストレスが風といっしょに消えていく。そのまま、目的もなくゆっくり歩いた。
「……やっぱり、怖い?」
と、隣の男に問いかける。気が付くとしっかりと腕をつかまれていた。さっきとはまるで逆の状態になっている。ここに来るまで、私が膝丸を引っ張っていた。しかし、あまりべたべたするのも不快だろうと思って途中から手を離していた。向こうから伸びてきた手を、避けることもできたが、連れまわしているのは私なので、好きなようにさせておく。
「……怖くなど、ない」
言いながら、ぐっと手に力が込められる。それに、素直じゃないなぁと笑った。
適当な場所で足を止めて、地平線をぼーっと見つめた。目線の先にオレンジ色に光る鉄塔が見える。とても温かい色だ。いつまでも見ていられそうだ、と思った。
「……聞いてもいいか」
遠くを見ながら膝丸が言う。どうぞ、と心ここにあらずの状態で答える。
「君は、本丸にいる時と現世にいる時とでは全然違う」
慎重に、言葉を選びながら、言ってくれている。
「こちらにいる時は、柔らかい顔をしていることが多い。だが、本丸では違う。采配は申し分ないし、刀として存分に使ってくれて感謝している。だが自分からは、俺たちに極力関わらないようにしているように……見える」
と、膝丸は言いにくそうに言った。やはり分かってしまうものなのだ、と思った。
そしてふと、夏の日を思い出した。いつもと変わりない昼下がり。うるさいほど耳に響く、セミたちの合唱。むっとした夏の気温と草のにおい。血でぐっしょりと重く汚れた服と、光がどんどん消えていく、紅の瞳。――力なく垂れたつま先から滴る液体。力のまるで入っていない足元に広がっていく、赤、赤、赤――。
強く呼びかけられて、はっとする。すぐ近くに心配そうな顔があった。ここが現実か、よくわからなくて混乱する。深呼吸を一つして、心を落ち着かせた。
「…それは、」
呼吸を落ちつけながら答える。
「気のせいだよ」
声に少し震えが混じってしまいながら答える。膝丸は不安そうに見つめていた。
「……もう、帰ろう」
出口のほうへ体を向けたら、腕にぐっと力を込められた。
「痛い」
掴まれた腕を見ながら、じとりと睨む。途端に慌てて力が緩められた。
「まだ、言いたいことがある」
と、膝丸が固い表情で言った。無言で続きを促す。
「……今日は、本当にすまなかった」
静かに頭を下げられて、数時間前に言った自分の言葉を思い出した。
「二度と、今回のようなことはしない。だから……考え直して、は、くれないだろうか」
少し下を向きながら彼は言う。先ほどのきりっとした表情が消えてしまって、情けなく眉が下がっている。小さく揺れる瞳を見ながら言った。
「さっき、向こうとこっちにいる時と、全然違うって言ってたけど。私も、同じようなことを、思っていたよ」
言いながら、主語が無くて分かりにくいだろうな、と思った。自分の気持ちを話すのは苦手だ。
「最初は、真面目そうな刀が来たなぁ、って思った。……あと、何となく冷たい印象があった。正直、私とは仲良くなれないタイプだと思った」
必死で言葉を紡ぐ。膝丸は、ショックを受けた顔で、眉をきゅっと寄せている。
「無口で、怖そうだなって――」
「ちょっと、待ってくれ」
と、膝丸が言葉を遮り、胸を押さえながら言う。
「……このまま聞いていたら、重傷を負ってしまいそうだ」
本当に苦しそうに言われて、私は、大げさだなぁ、と笑った。
もう少しだけ、我慢してねと言いながら、続ける。
「最初は、膝丸にそういう印象でいたけれど。……こうやって話してみたら、全然そんなこと、なかった。行動の一つ一つが、思いやりの気持ちからきてるって分かった」
膝丸が大きく目を見開く。
「この間の、仕事を手伝ってくれたのも、本当に嬉しかった。ありがとう」
目の前で桜の花びらが小さく舞った。
「無表情とかでも全然なくて……なんというか、うまく言えないけれど」
だんだん、言いたいことが分からなくなってきた。強引に結論付ける。
「なので、これからも、色々な表情を見せて」
残りの期間も私の近くで、と続ける。途端に、ぶわりと咲いた桜の花びらで前が見なくなった。その量に、びっくりしながらも思わず笑ってしまう。桜の花びらと夜景がちょうど重なって見えた。それは今日見た景色の中で、一番綺麗だった。