すくわない(18)

きっかけは一通のメールだった。懇切丁寧な文章で、どうにか本丸の淀みの原因をつきとめてほしいという内容が書いてあり、重い腰をあげる。足元に寄ってきたこんのすけを抱きよせまわりを見渡すが、和泉守は席をはずしていたので、書き置きだけを机に残し外にでた。壁ぞいに手をあてながら調べてまわる。本丸の地図を思い出しながら歩きまわったが、とくにおかしな場所はない。時間ばかりがとけていく。腕のなかの狐と目をあわせる。八方ふさがりとはこのことかと、諦めの気持ちがうかび、頭のなかで言い訳の文章を考えていると、手につたわる感触が変わった。顔をあげると壁があって、ここは前に来たことがあると思いだす。本丸に来たばかりのころ、短刀の姿をした“なにか”を追いかけたのち、辿り着いた場所だった。

木でできた壁を触りながら調べていると、わかりにくい場所にへこみがあり、狐と顔を見合わせる。静かに押すと、がくんとかみ合わせが外れる感覚がした。わずかな隙間が上下にできている。こんのすけを地面に下ろし左に引くと、向こう側に廊下があらわれた。狐は驚いた顔をして、早々に気持ちを切り替えたのか一歩先に進み、振り返ってみせる。罠は仕掛けられていないらしい。あとに続いてから扉を閉めるとかなり暗くなったが、木造のためか材木の隙間から光が漏れていた。暗い世界に上から差し込む、白い筋に似た光がところどころにあって、それを頼りに進む。空気が埃っぽくて喉の奥がざらざらとして咳をしたくなるが我慢した。奥に進んでいくと明かりがついている場所があって、道をふさぐように豪華な襖があった。松の木が一面に描かれている。丸い金の取手が目に入り、迷ったが引いてみることにした。

なかの室内は正方形に近い形をしており薄暗く、隅に蝋燭が一本だけ灯されている。誰がつけたのだろうと疑問に思いながら進むと、壁際に一振りの刀があるのが目に入った。蝋燭の光に照らされて鞘がぬらぬらと光っている。部屋が暗くてなんの刀わからずさらに寄ろうとすると、こんのすけが足元に体を擦り付ける。心配をしているのか、耳をぴんと立ててしきりにあたりの様子をうかがっている。たしかに部屋の雰囲気は異様だった。とにかく確かめないといけないという、ほとんど脅迫観念に近い心情で刀の近くまで寄る。鞘は土かなにかで汚れていて、全体的に傷ついていた。中身のほうを確認しようと本体に手を伸ばしたとき、風が動いて、髪の毛が頬にあたる。

花びらが視界を横切ったと思ったら、視界がまわる。畳に背中を打ち息が詰まった。体が重くて動かない。ちょうどまんなか、腹のうえに誰かがいて手に細長いものを持っている。目だけを動かすとさっきまであった刀の鞘が、部屋の隅まで吹っ飛んでいた。

髪を掴まれて強制的に前を向かされると視線があわさり、馬乗りの男と目があう。刀を遠目に見たときから予想はしていた。顕現されたのは太刀、膝丸で、黄色い目が細められて皮膚が熱くなる。心臓が痛いくらいに鳴っている。男の手が首元にまわり力を込める。真横から毛玉が飛んできて彼の腕に噛みついた。こんのすけだった。歯を剥き出して肉を断ち切ろうとする姿は獣そのもので、膝丸は一瞬驚いたように目を丸くしたがほんとうにそれだけだった。宙にあげた腕を思い切り左に振ると、遠心力にまけて狐は口を離してしまい、吹っ飛んでいった。膝丸は何か口にし、温度の抜けた目をして刀を振りあげた。断ち切りやすくするためか顎の下を手で圧迫されて息が苦しい。もう終わりかもしれない。脱出するという気概はなくてみるみるうちに力が抜けた。横を見ると襖の手前に狐が倒れている。こんのすけ、と口のなかで呼んだ。死んでしまったのだろうか。目の奥に熱い感覚がして瞬きすると、次の瞬間には狐が消えていた。襖の隙間、暗がりからなんの前触れもなく足があらわれる。踊るように距離をつめ、視界の端から、ムチみたいにしなる足が膝丸の顎に直撃した。きっと、健康な状態だったら膝丸だって気配に気がついたかもしれない。だけど彼は負傷していて、おまけに冷静さを失っていた。

助けにきた和泉守によって体を強制的に起こされる。いつのまにかこんのすけが横から出てきて男に何か告げる。何か会話をしていたようだが、こんのすけが生きていたことが嬉しくて抱きしめる。狐は苦しそうに身をよじったが逃げ出すことはしなかった。しばらくそうしていたが大事なことを忘れていると気が付き、膝丸がとばされたあたりに目をやるが、姿は消えていた。和泉守に引きずられるようにして廊下にでる。

名前を呼ばれた気がして振り返ると、髪の毛がいくつか飛んだ。風の動きを追うように目を動かせば、顔の横、すぐそばの壁に刀が突き刺さっていた。

 

 

 

翌日、和泉守兼定は隠し扉の前にいた。審神者はこんのすけが見守っている。置いていくことへの不安があったが、必ず渡してきてと本人から念を押されてしまった。左手にある太刀に目を向けため息をつく。こちらが気の毒に感じるほどの劣化は審神者の手入れによって一晩で無くなり、刀は本来の姿に戻った。その代償に、女は昼過ぎだというのに起きる気配がない。暗い廊下を歩きながら和泉守は考える。首に刀がかけられた審神者の姿を目にしたとき、なりふり構っていられなかったのでとっさに蹴り飛ばしてしまったが、賢明な判断だと思った。もし刀を抜いていたら殺し合いが始まっていたかもしれない。

黒い松が描かれた襖をあけるとすでに膝丸がいた。まるで待っていたかのように畳に座っていたが、和泉守と目が合うと静かに立ちあがる。男は向かい合う形で立ち止まった。しかしここまでは距離があり、足を踏み出そうとするが、壁にぶつるかのような仕草にやっぱりなと呟く。

「結界か。相当厄介なやつだ」

「全く忌々しい。前の主がやったのだ。あの女は俺が気に入りでな。情が勝り暴れる俺を折ることができずにやむを得ずこうした。――で、貴様は何しに来た。まさかお喋りに来たわけではあるまい」

無言で刀を押し付けるように渡すと、膝丸は素直に受け取った。見違えた鞘を手でなぞり失笑する。

「お前の主は馬鹿なのか?」

和泉守の頭のなかで数々の言葉――ほとんどが罵詈雑言――が飛び交ったが口を噛み締めて言葉を飲み込んだ。それは短気な男には大変な作業だった。耐えて、やっとでてきた言葉は、「こっちにきくな」という一言で、なんともおさまりがつかない。しかし膝丸はそんなことお構いなしに鞘を抜く。どこかに挟まっていたのか中から白い紙が出てきて、花びらみたいに左右に揺れながら落ちていく。畳につく寸前で器用にキャッチし、彼はまた笑った。

「そう……本丸が浄化されないのは、俺が原因だ」

昨日の夜、審神者と確認した刀剣破壊の履歴に彼の兄弟の名があったことを、和泉守は思い出した。

「残念だがオレにはどうすることもできない。昨日のことは、こんのすけを通じて政府に知らされるはずだ。政府には術に長けた人間がいるらしい。刀解はさせない。……あんたの兄刀も、きっと望んじゃいねぇはずだ」

膝丸はなにか言いたげだった。これ以上の会話は無意味だと判断した和泉守は背を向ける。間髪入れずに声がかけられた。

「探してくれ! あの方は戻らなかった。どこかにいるはずなんだ。俺には分かる、だって、唯一の兄弟なのだから……!」

すがるような声を振り切るように足を進める。いつのまにか眩しい光に溢れていて、最初の廊下に戻っていた。和泉守はその場で立ち止まる。頭を抱えてしゃがみたい気持ちになった。

蔵にあった刀は、審神者がここへきてから苦労して鉄にかえしたので、欠片も残っていない。

 

 

 

執務室に戻ると女は目が覚めていて、机のうえに覆いかぶさるようにしていた。顔を横向きして頬がぺたりとはりついている。和泉守から報告を受けた審神者は、目をとじてわずかに眉をよせる。そばに控えていたこんのすけが、気遣うように男へ頭を下げる。和泉守はいつも要件を伝えると壁の近くだとか入口のそばだとかに移動するのだが、そのときは疲れのあまりその場に腰をおろした。女はそれに気が付いて目をあけたが体をおこすことはしなかった。お互い疲れた表情で見つめあう。沈黙のあいだ女は何を思ったのか、のろのろとした動きで手をのばすと、かためるようにして置いていたみかんのやまからひとつをとり、力のない動きで前に置いた。

 

 

 

 

審神者はぼんやりとすることが多くなった。頬杖をついてじっと目をつぶる。どことなく不穏な空気がでてきるようで落ち着かなく、こんのすけが気をきかせてまとわりつくが尾をなでるだけで、あとはことごとく無視をしていた。ある時突然、「一度演練に行ってみませんか」とこんのすけが言い、それにてっきり反対するかとおもったが、審神者はふたつ返事で了承した。だが、言い出した狐のほうがなぜか乗り気ではなく、「え、受けるんですか」と動揺した。しきりに、「やめてもいいんですよ」とか、「主さまはお疲れですし」などと言う始末で、一部始終を見守っていた和泉守はため息をつきながら刀を手にする。演練に選ばれたのはへし切長谷部と燭台切光忠で、当然のように和泉守が隊長だった。だが先日のことで頭がいっぱいで、気持ちの乱れが太刀筋にでたのか思うように刀がふれず、ぎりぎりのところで勝ちはしたが、誉はとれなかった。ひかえめに桜を散らしている長谷部は誉をとったのに居心地が悪そうで、戻る間ずっとうつむき加減だった。審神者のもとに戻ると、たどりつく前に向こうから走ってきたので三人とも足をとめる。その勢いのまま、女は長谷部に抱きついたのでぎょっとする。

「な、どうされたんですか」

長谷部は青くなったり赤くなったりしている。頑張ったねと頭を撫でられている刀の姿はちらほらと目にするが、道中でどうどうと抱き合うということは少なく、しかも女は離れようとしないので周りの視線を集めていた。どこからともなく、「ねぇ主、あれ僕にもやってよ」という声がして、へし切長谷部は顔を赤くさせていく。だがしがみつく女を無下にもできず、「おい燭台切、貴様は女の扱いに慣れているだろう。この状況をなんとかしろ!」と理不尽に切れた。呼ばれた燭台切はのんびりとしたようすで、

「いいなぁ、長谷部くん。きっと彼女、誉をとったから喜んでるんだよ。僕もがんばったらしてくれるのかな」

などと言うので長谷部はさらに怒った。見かねた和泉守が引きはがそうと近寄る。だが、伸ばした手がとまった。女は首にまわした腕に顔をうめるようにして、向こう側――おもての通りを眺めていた。どうみても喜んでいる顔じゃない。周囲を観察するようにただじっと人の行き来を見つめている。

 

 

刀が消えたのは演練に行った日からちょうど三日後のことだった。朝のまだ早いうちから、燭台切光忠が執務室にたずねてきて、仲間の姿がないと言った。報告をきいた女はゲートのほうにまわると鳥居の根元にしゃがみ何かを回収する。それは盛り塩で、てっぺんがわずかに焦げていた。固まった塩を砕くと一部をこんのすけに渡した。

 

揺れる汽車のなかで、向かい合わせに座りながら、和泉守はどうしてこうなったのかと思いだしていた。窓にうつる女の横顔をちらと見ると、彼女は額を窓に限りなく近くして、体を寄りかからせるようにして外をながめている。乗ったときは他にも客がいたが、それも駅に停まるうちに少なくなっていった。今では片手で数えられるくらいしかいない。セーターの袖を伸ばすようにしてひっぱりながら、女は頬杖をつく。刀が消えたと知ってからの女の行動力には目を見張るものがあった。こんのすけと相談したあと、さっさと荷物をまとめて深夜、布団を用意している和泉守にこう言った。

――いくよ

どこへ、とか、今から? とか聞きたいことはいくつもあったが頷きでこたえる。準備をするといっても、持ち物は刀くらいだ。てっきりゲートで移動するのかと思ったが、市街地についた途端、女は真っ直ぐに政府の施設とは反対の方向へと歩き出した。人波を泳ぐようにすいすい進む。案の定というか、少し目を離したすきに人混みへ紛れてしまった。呼びかけるが当然のように声は届かず、舌打ちをしてかけ出す。しかし思うように進まない。愚鈍な魚の群れのような人波に苛々としつつ、大通りは駄目だと脇道に入った。大股で進む。勢いあまってごみ箱に足があたってしまい、近くにいた野良猫が驚き逃げていった。

細い道を抜けるとちいさな駅の入り口に出た。見渡すが女の姿は無い。完全にはぐれた。頭を抱えてしゃがみ込む。髪が地面についてしまったがそんなこと気にならない。今から探して見つかるだろうか。あの女なら気にせず乗ってしまいそうだ。

――私の刀じゃない。いらない。

ふと頭の中で声がして息がつまる。過去を思い出して息苦しくなることはいままでなんどかあった。頭が痛くて重い。あまり眠れていないせいもあるかもしれない。のろのろとした動きで立ちあがり、端のほうへと移動した。立っていられずに壁に寄りかかる。足元に視線を落とすと、ごついブーツの足先が汚れていた。駅には誰もいなく、さびれた雰囲気がただよっていた。いちど耳にした音はなかなか離れなくて、いっそのこと、俺も耳が聞こえなくなればいいのにと、くだらないことを考えてしまう。息を整えていたらふと肩を叩かれる。ゆっくりと顔をあげると、すぐそばに女がいた。急にあらわれたことと、近くにいたのに気配が探れなかったこと、そのふたつに驚いた。

女は寒そうに身震いして赤いマフラーに顔をうめた。片手に持った包みをかかげる。少し湯気がでていた。

「勝手にいなくなるなって、前から散々、言っただろ」

恨み節は届かない。ふてくされて明後日のほうを向くと、顔の前に紙が突きつけられる。寄り目になっているのが自分でもわかる。受け取りながらまじまじと確認すると、二人分の乗車券だった。