すくわない(3)

 部屋に戻るとこんのすけがそわそわとしていた。障子を引くと同時にぱっと顔をあげる。「どうしたの?」布から刀を取り出して刀かけに置きながら訊ねると、こんのすけは絞り出すような声を出した。「たった今、政府から連絡がありまして」

「うん」

つめたくなった指先をさすりながら座布団に座る。部屋には暖房が無いのか、外にいるのと変わらないくらいの寒さだった。畳に直接足をつけているこんのすけも小刻みに震えている。

「彼らを、次の審神者に譲渡できるようになんとかして欲しいと……」

「どういうこと?」

責めるような口調になってしまうのは仕方がない。こんのすけは感情の読み取れない声色で淡々と言葉を続ける。

「人の言うことを聞くようにしてほしいのです」

「……本気で言ってる?」

近くにあった火鉢を覗くが、肝心の火がついていない。こんのすけはこくこくと首を縦に振るばかりだ。

とりあえず寒くてたまらないので、厨に行こうとこんのすけを誘う。彼は露骨に顔を顰めた。執務室にいたいのと、早く本題を終わらせてしまいたいのだ。

「道中話そう」

「しかし」

「多分、こっそり会話しても意味ないよ」

視線がまとわりついてくる。初日から違和感には気が付いていた。姿は見えないが、誰かが常に監視している。いまの話も一部始終聞かれているだろう。

鉄鍋と炭を持ち廊下へと向かう。とりあえず火を用意したい。頭へ叩き込んでいた地図を思い浮かべながら厨へと向かう。

あたりは暗く沈んでいて、いつのまにか夜もふけている。自身の本丸だったら、誰かがお酒を飲んだりして愉快な笑い声が聞こえる時間帯だ。外に目を向ければ地面が白くなっている。雪が音を吸い込んでいるのか、眠っているみたいに静かだった。

こんのすけは問題を先延ばしにされたことと、あわよくばそのままなくなってほしいという私の意図にうっすらと気が付いていて、やんわりと怒気を発している。それでも、歩きながら簡単に説明をしてくれた。

「政府の意向としては、ここにいる刀剣男士は練度が高いため、刀解は避けたいとのことです。しかし素直に人間へ手を貸してくれる状態ではありません。なので、次の審神者様に仕えてもらえるように修正をお願いします」

「難しいんじゃないかな……」

次の審神者、という言葉が廊下に響いた瞬間、どこかで柱が勝手に音を立てた。

「審神者じゃなくて、いったん政府に預かってもらうっていうのは」

最後まで言い終わらないうちに、家全体から地響きのような音が鳴った。天井からぱらぱらと細かい埃や塵が落ちてきて、こんのすけが小さな悲鳴をあげた。

「それも嫌みたい」

肩を竦めて歩みを再開する。いたる所で家鳴りがしていた。木の枝を折るような乾いた音が、天井付近から絶えずひびく。

そうこうしているうちに厨にたどりつき、そっと中をのぞくが誰も居ない。がらんとしていて、とても静かだ。正直ほっとした。中に入りコンロのある場所まで歩く。炭を入れた火おこし鍋を置き、元栓を捻る。赤い炎が舐めるように鍋を覆う。火力を調節して、熱が炭に伝わるのを待った。

「では、どうなさるのすか」

「正直に出来ないって言う。場所の浄化は出来るかもしれない。でも、心理カウンセラーみたいな真似は無理」

自分の本丸の刀と仲良くなったのも最近のことだ。全てを知っているこんのすけは、困ったようにため息を吐いた。

台所に立ち尽くしながら、炭に火がうつるのを眺める。なかなか赤くならない。ときどき鍋を動かしたりしてみたけれど、意味はほとんど無かった。

表面上はいつもと変わらないふうを装っているけれど、内心では、この仕事を引き受けたことを心の底から後悔していた。過去に戻れるのだとしたらやり直したい。

簡単だと言われた。三か月間、本丸内で暮らして、空気を段々と正常なものに戻していく。余力があれば、空いた時間にお祓いをしてくれればなおのことよし、とのことだった。男士達もまさか命までは取らない、とお墨付きをもらった。

実際に、どんなふうに運営されていたかは知らない。審神者がどんな人物だったのかも。

蔵にあった木箱を思いだす。数十、いや、数百はあるかもしれない。被害について詳しくは教えてもらえなかったけれど、あの光景がすでに答えのような気がした。

ぱちぱちと手元で音が鳴り視線を下に向ける。炭が赤くなっていた。やっとか、と呆れながら手をかざすと熱を感じる。コンロの火を消して鍋ごと持ちあげ厨を出た。

執務室に戻ったときには日が変わろうとしていた。火鉢はいらなかったかもしれないと少し後悔したけれど、眠気が全くなかったので、もう少し起きていることにした。

赤く燃えた炭を灰の中へ入れて手をかざす。こんのすけは体を限界まで寄せた。

「毛が燃えちゃうよ」

「それくらいでいいんです」

笑ってしまいそうになったけど、ふと思い出したことがあったので、別の話題を持ち出した。

「こんのすけ、この本丸にも書庫とかあるのかな」

「ありますよ」

「じゃあ、明日にでも行ってみよう」

「かまいません」

くわ、と欠伸をしたこんのすけは、半分寝ぼけながら了承する。いつもならすぐに姿を消すのに、ここへきてからはずっと傍に居てくれる。狐は確かに抑止力になっていた。政府とのパイプ役だから、彼の目が光っているあいだ、私に手出しできる者はいない。

クリーム色の毛に覆われた背中を撫でる。骨の感触と、生き物のあたたかさを感じる。

 

 

 

 

翌日、朝の早いうちから書庫に向かった。室内は酷く埃っぽい。白衣の袖で口元を覆いながら、窓をあける。籠った空気が外に排出され、新鮮な空気がなだれ込んできた。

段ボールが壁ぎわに無造作に積みあげられている。棚に所狭しと並べられている本にはうっすらと埃がつもっていた。床にあるひとつを選んで、蓋についたガムテープを外して中を確認すると、みっしりと敷き詰めるようにして資料の束があった。ひとつを手に取り、ぱらぱらと捲る。備品の記録のようだ。気落ちしながら箱に戻すと、上から声が降ってくる。

「ありましたよ!」

積み上げられた段ボールの、ちょうど頂上にいたこんのすけが叫ぶ。こんなに早く出てくると思っていなかったので、正直驚いた。たんたんと軽い足取りでジャンプしながらおりてくる狐を見守る。口には一冊の本を咥えていた。

受け取りながら、比較的明るい窓際に移動した。猫みたいに肩にジャンプしたこんのすけが得意げに鼻をならしたので、あいている手で撫でる。

壁に寄り掛かるようにして本を開くと、古い紙の匂いがした。中心が糸で止められている。古風な製本の仕方だと思った。

 

 

 

 

物陰から書庫をのぞいていた一期一振は、狐が咥えていた本を目にしたとき、とうとうこの時が来たかと覚悟を決めた。あの本には全てが記されている。新しく来た女が、内容を知ってどんな顔をするのか興味がわき、息を殺しながらじっとしていた。書庫は薄暗い。女は壁に体を寄りかからせたまま、本をパラパラとめくった。やがてある一点で手が止まる。

ちょうどこんのすけが肩に乗っかっていて、一緒に本をのぞく形となった。細長い体と太い尻尾に隠れて顔が見えない。ゆらゆらと尾が揺れる。女はうんともすんとも言わないため反応が分かりにくい。感情が表に出ないタイプなのだろうか。

それとも、慣れている――とか。

本を熟読するばかりで動きがないので、その場を離れることにした。ここは空気が重たくて仕方がない。

――いち兄。

「どうしました」

廊下に出て誰もいないことを確認したあと、一期一振は実際に声に出して答える。書庫は二階にあるため、窓の外からの景色は見晴らしがいい。

――あの審神者、悪い人かな。それとも優しいひと?

頭の中で複数の声がする。ひときわ高いのは乱のものだった。彼の一声を皮切りにわいわいと蜂の巣を突いたようにみんなが騒ぎ出したので、諫めるように刀に手を滑らせる。

「まちなさい。油断をしてはいけない」

くすくすと耳元で声がしたあと、乱は寂しそうに言った。

――みんな、消えちゃったね。

土蔵にある、うず高く積まれた桐箱の山。それが新しくきた女の手によって、みるみるうちに小さくなっていくのを、一期一振は影から見つめていた。

この気持ちをどう表現したらいいのか分からない。悲しいとか、辛いとか、そんな段階はとうにこえてしまった。

「敵を取ってやりましょう」

たったひとつだけ、心が沸き立つ瞬間がある。それを思ったとき、世界は色と輝きに満ち溢れた。単純なことだ。己は刀で、武器は人を殺すために存在する。

肉を断つ感触を反芻すると、口元に自然と笑みが浮かぶ。あの女はどんな味がするのだろうか。血のあたたかさは。死に際にどんな声を聞かせてくれるのか。

深く呼吸をすると、冷たい空気が肺になだれこんできて、靄がかかったようだった思考がクリアになった。最後の仲間が消えてしまってから、彼は戦場でしか空気が上手く吸えなかった。喉がせき止められたようになるのだ。

息ができなくて苦しい。陸にいるのにおぼれているみたいだ。だが、もうすぐ楽になるだろう。

一期一振は口を引きしぼり無表情を作ると、軽やかに足を踏み出した。

 

 

 

 

パタンと本を閉じたあと、呆然と表紙を眺めた。破壊の二文字が、脳内でイワシの群れのように泳いでいる。

元の審神者は、珍しい刀を取得することに執着していたらしい。しかし結果は思わしくなかったようで、書き連ねた文字がときおり歪に曲がっている。感情を抑えられない、といったように。稲妻のようになった文字から執念を感じた。

聞いたことのある名前を眺めながら、自身の本丸のことを考えていた。全く同じ名前、同じ容姿をしたものたち。

たとえば彼らは傷を負ったとき、口を揃えて言う。気にしなくていいから、と。短刀ですら、裂傷前にして泣きそうな顔をしていた未熟な私に、物だから傷がつくのは当たり前だと言い放った。

本を胸元に抱えたまま書庫を出る。一旦執務室に戻って夕方まで待つことにした。ショックが大きくて何かしようという気にならない。障子の向こうが西日によって輝き、そして暗くなるまで、何度もページをめくった。

夕暮れ時になって、ようやく重い腰をあげた私を見て、こんのすけが首を傾げる。

「挨拶くらいしておこうかな」

今から戦場に向かうかのような、重々しい声が出てしまったけれど、それも仕方がない。こんのすけは息を飲んだあと、何かあったらすぐに呼んでくださいと続ける。姿を隠し、近くで見守ってくれるらしい。

今さらという気がした。本丸に来てから数日は経っている。一度は部屋をまわってみたけれど、不思議なことに男士がいなかった。政府の要望を無視して、淡々と過ごしていたほうがいいと冷静な自分が言う。だけどこのままにしておくのもよくない気がした。迷ったすえに長い廊下を歩く。何度か来たことがあるので、道順は分かっていた。

最初にむかったのは厨だった。挨拶もなしに足を踏み入れる。予想に反して、台所には男士がいた。背丈のある、上から下まで黒づくめの男だ。

「初めまして」

扉から呼びかける。聞こえているだろうけど返事は無かった。最初から期待はしていない。壁沿いにある作業スペースで、男は黙々と野菜を切っていた。コンロにかけたれた大きな鍋からはふつふつと煙が出ている。

「政府から頼まれてきました。これから三か月間、お世話になります」

大きな背中に呼びかける。思ったよりやさしい声が出たことに安堵して、返事があるかと待ったが、動きがないので静かにその場をあとにする。退出する瞬間、吹きこぼれる音がして、びくりと肩が跳ねた。振りかえると火にかけてあるやかんの口から、湯がぼこぼこと飛び出ていた。肝心の男は、ぼうっと立ったまま眺めている。目がどこも見ていない。単純に恐怖したあと、遅れて、手をかそうかと考えたけれど、本能的にやめておいた。男の背中が、来るなと伝えていた。

次に向かったのは大広間だった。障子から光が漏れ、人の影が切り絵のように浮かんでいる。しかしようすがおかしかった。話し声もないし、動く影もない。みな正座しているようだ。

廊下を歩きながら何の声掛けもなしに障子を引いた。殺意が波のように襲ってきたのはほんの数秒で、諦めたように畳に視線を落とす。静寂の中、私の畳を踏みしめる音だけがやけに大きく響く。机の端まで行くと室内を改めて見わたした。男士は十振りほどしかいなかった。記録にあった数の半分以下で、少なからず動揺してしまう。表に出さないように気を付けていたけれど、彼らのほうが一枚上手だった。

「驚いただろ?」

一番近くにいた鶴丸が下のほうから掬うように見つめている。普通に話しかけられると思っていなかったので、少し面食らった。身構えて次の言葉を待ったけれど、彼はそれ以上何も言わなかった。

さっき話した内容とほぼ同じことを繰り返すと、俯いていた男たちが一斉に顔をあげる。目があった瞬間に息を飲んだ。瞳の中から光が消えていた。もし、生きている人の瞳が煌々とついている電気だとしたら、彼らは完全に停電している。

挨拶をすませると何人かが、本当にかすかだけれど頷いてくれた。深く頭を下げてから、大広間をあとにする。廊下に出てから障子を閉めるとものすごい疲れが押し寄せてきた。遅れて恐怖が襲ってくる。指先が細かく震えている。

穴蔵のように暗い瞳を思い出す。あれは失った者だけが持つ目だ。