放電

冬の空気は好きだった。庭は色を無くし、どことなく周りを拒絶している。澄んでいて、静かなのもいい。

だけどひとつだけ、苦手なことがあった。

「いたっ」

指先から弾けた感覚がして慌てて手を引っ込める。台所の棚の前で固まるわたしを見て、光忠は作業の手を止め不思議そうに首を傾げた。

まただ、と苛つきを覚えながら手をもみこむ。冬の時期、ばちっとなる現象――静電気は急にやってくる。呼んでもいないのに。

怯えながら指先で触れて、今度は大丈夫だと分かった所で、離れた場所で作業をしていた光忠に声をかけられた。

「よくなってるよね、それ」

「光忠はならないの? 静電気」

「僕はないなぁ。水仕事はしてるけど」

手を曲げたり伸ばしたりしながら光忠は言う。

本丸内は木を多く使っているからと安心してはいけない。わたしは静電気体質で、服を着るときもぱちぱちと音が弾ける。執務室でセーターの袖を捲ったときにちょうどそれは起こり、たまたま近侍だった山姥切は目を丸くしていた。

とはいえ苛ついたのは一瞬で、すぐに思考は日常に戻った。取り出した茶葉をコップに注ぎながら今日の予定を考える。少し難易度の高い戦場に向かわせようと思っていた。選ぶなら、誰がいいだろう。

「それ、なあに?」

「紅茶」

「そっか」

やけに色っぽい声で答えて光忠は作業に戻った。蛇口から勢いよく溢れ出るお湯で指先が赤くなっている。じゃぶじゃぶとした水音がひびく。

わたしは水をあまり飲まない。どうしても忘れてしまう。ついでにご飯も忘れがちだけれど、光忠が来てくれてから生活は健康的になった。彼と出会うまでは面倒くさくてお菓子をご飯代わりにすることが多かったけれど、誰かが告げ口したのか怖い顔をして没収された。

「ちゃんと休憩をとってね」

「うん」

コップの縁にだらりとたれた、ティーバックの糸を見つめながら厨をあとにする。庭は寒々しくもあったが雪は降っておらず、冷たい風が地面をわたる。

 

 

 

あらゆる仕事はアートだと、昔読んだ小説の一文にあった。そうかもしれないと思いつつ、でもどうしても作業的な一面は拭えない。特に、一年が経ち、完全に慣れてしまった今となってはなおさら。

今日の近侍は大包平だった。彼のことは気に入っていた。近侍は週替わりで固定ではなかったけど、予定表に彼の名前を目にすると少しだけ心が上向いた。それは恋とか、そういう類の感情では決してなくて、どちらかといえば好奇心に近かった。男らしい見た目をしていて声もはっきりとしており、普段の言動から活気盛んな人物だと想像し、てっきり書類仕事は嫌がるものと予想していた。だが、それらを裏切り、彼は実に丁寧に仕事をこなした。

さらに驚くべきは二面性だった。他の刀といる時は元気なのに執務室では電池が切れたおもちゃみたいに静かになるのだ。現に今も、黙々と書類に記入をしている。まるく整えられた爪が目に入り、一気にこの男に好感を持った。

見つめすぎている自覚はあったけれど怒られなかったし、本人も満更でもなさそうだったので、作業に飽きたり疲れてくると男を眺めた。それは美術館で芸術品を鑑賞する気持ちに近い。

だけど、事件は唐突に起こった。ある日、大包平が手を伸ばして机の上にある資料を取ろうとした。自分のほうが近かったので渡すために手を伸ばすと、いたずらに指先が触れた。

ばちっ! と激しい音が鳴り輪ゴムで弾かれたような衝撃がくる。わたしは、ぎゃっ! と色気のない声をあげ、慌てて手を引っ込めた。

静電気だった。たまに人に触れたとき発生することがあったけれど、今回のは一段と威力があった。小さな青白い火花すら見えた気がする。向かいの男も痛そうに顔を顰めている。

「凄かったね」

「あぁ」

その日は笑って終わったけれど、困ったことにその現象は何度も起きた。おもに体の一部分や衣服が触れそうになったとき、思い出したようにおとずれる。

わたしは辟易としていた。痛いことは嫌いだった。一週間が無事に終わり、近侍が別の人に変わるとその現象は嘘のように消えた。

正直ほっとしていた。それと同時に、もう大包平を近侍にしないと、心にかたく決めた。

 

 

 

きちんと計画を立てていたはずなのに、締め切り前になってもまるで書類ができあがらず、脳が煮詰まっている気がしたので散歩がてら厨に向かった。今日も今日とてあまり飲み物を口にしていない。思い出してみるとコップ二杯程度だったので愕然とした。

夜の廊下はいつにも増して冷ややかだった。遠くで微かに笑い声が聞こえるのはお酒を飲んでいる刀たちのものだ。わたしはお酒があまり得意ではないので、毎日毎日飽きもせず酒を飲んでいる彼らをどこか尊敬していた。

一度、日本酒の飲み比べをさせてもらったことがあるけれど、酒だ、としか思わなかった。辛いとか甘いとか、滑らかだとか喉に引っかかるとか、そんな違いはまるで分からなかったので、僅かな変化に一喜一憂している彼らを素直に凄いと思った。

台所には誰もおらず、作業台にある電気をつけるとぼんやりと半径三十センチ程度が明るくなる。薄明りの下、棚の真鍮の取っ手におそるおそる指先を近づけた。

「誰だ。こんな時間に何をしている」

低い声にびっくりしながら振り向くと、扉のすぐ近くに大包平がいた。薄暗い照明に体の側面がぼんやりと照らされている。暗い色の浴衣の袖から男らしい腕が見えた。腕組みをしているので威圧感が凄い。

相手はわたしの姿を捉えると目をまるくした。

「なにも。喉が乾いて」

取り繕うように笑いながら棚を開けるがいつもの場所に茶葉がない。ならば上の棚かと背伸びをした。が、奥にしまわれてしまったみたいでなかなか取れない。

「まて、無茶をするな」

すぐ横に男が来てつい反射的に逃げてしまった。大包平の瞳が翳ったので言い訳を考えていると、彼はいとも簡単に袋を取り出して作業台に置いた。ついでみたいにコップを渡してくれる。

「ありがとう」

受け取ったとき、またもや悲劇が起こった。今まで経験したなかで一番の電流だった。驚きのあまり弾かれたように手を引いてしまい、手からコップがすり抜ける。そこからはスローモーションのようだった。お互いに驚いて軌道を見つめることしかできない。

数秒後、切り裂くように尖った音が響く。床には粉々になってしまったガラスの破片が飛び散り、蛍光灯の明かりを受けて、恨めしげに光っていた。

 

 

コップ粉々事件から一ヶ月が経ったあと、執務室に大包平が来た。ちょうどおやつの時間で光忠に会いに行こうと思っていたので少々億劫だったが、そんな理由で跳ね除けることはできないので部屋に招く。

男はみるからに沈んでいた。用意した座布団にも座らずに直接畳に正座したので首を傾げる。何かよくないことが起きたのだろうか。例えば鶯丸と喧嘩したとか。ひやひやとしながら言葉を待っていると、男はやっと口を開いた。

「この間の件、本当に申し訳なかった」

一瞬何のことか分からなかったけれど、夜の光景を思い出した。深夜に慌てふためきながら二人で破片を片付けた。その間大包平はずっと謝っていたが、とくに思い入れのあったものではなかったので、大丈夫だと慰めた。数日たってから、丁寧に集めたのに取り切れなかった欠片を台所の片隅で見つけたときにやっと思い出したくらいだった。つまりきれいに忘れていた。コップが割れてしまったことは、わたしにとってさほど重要なことではなかった。

「大丈夫だよ。気にしないで」

「ではなぜ避ける」

「別に避けてないよ」

「嘘をつくな。近侍の候補から俺の名札がなくなっていた。それが答えだろう」

とても言いにくいことのように男は言った。かたく丸められた拳に力が入っている。木でできた薄い札が頭に浮かんで、あぁと納得した。

あれから考えてみたけれど、どうして大包平と触れあうときだけ静電気が起こるのか分からなかった。なので、とりあえず近侍候補から彼の名を外した。夏になったらこっそり戻そうと思っていたのだ。

でも、どうして彼といると静電気が起こるのだろう。なにかの体質だろうか。

「――わたしたち、相性が悪いんだと思う」

色々とすっ飛ばして言ってしまったので、大包平はとてもショックを受けていた。

「なぜだ。俺はそう思わない。お前のことは尊敬しているし、近似として共に過ごした時間は心地が良かった」

視線が下にいく。糾弾されているみたいで、逃げ出したくなりもぞもぞと体を動かすと眼光の鋭さが増した。おもわず逃げたくなり、あとさき考えないわたしは、そっとあとずさる。

「やっ! 触らないで!」

逃がすまいと伸ばされた手が皮膚に触れた瞬間、電流が走った。ばちんと音が鳴る。

「いったぁ……」

手をもみながら後ずさる。相手も全く同じ動作をしていた。痛みにうめきながらも目を合わせる。

苛々としながら理由を説明した。話しているうちに納得したのか、男のまとっていた空気が柔らかくなる。

「じゃあそういうことなので」

唐突におやつのことを思い出し、早々に話を終わらせ腰を浮かせた。同じように立ち上がりながら、大包平はまっすぐにわたしを見つめる。

「事情はよく分かった。俺に全て任せておけ」

反射的にうなずいて廊下に出た。無言で別れるのも変だと思い、胸元でひらひらと手を振ると、彼は嬉しそうに笑ってくれた。

 

 

 

 

それから男が訪ねてきたのは翌日のことだった。畳に横になって休憩していたので慌てて体を起こす。はぁいと返事をすればすぐに障子があいた。

「鶯丸から対策を聞いてきた。さっそくだが手を出せ」

「え……。やだよ」

両手を庇いながら拒否をするが、相手は一歩も引かなかった。

「頼む」

必死な形相で言うので渋々手を出す。握手した瞬間に電気が走ったのでほら見たことかと睨みつければ、大包平は狼狽えたが、諭すように声をだした。

「静電気は体質らしい。プラスとマイナスの性質があって、それが接触すると起こる。こうして触れていると、馴染むから無くなるのだそうだ」

「そうなんだ。凄いね」

理屈はなんとなく分かった。納得はしなかったけど、あまりに真剣に話しているのでとりあえず頷いておく。場の空気に任せて流してしまうのはわたしのよくない癖だった。

十分くらい経ったあと「これでよし!」と元気よく言って男は手を離した。これから内番があるからと立ち上がり背を向ける。障子に手をかけながら、そうだ、と思い出したように振り返る。

「明日も来るからな」

いうだけいうと、さっさと部屋を出て行ってしまった。呆然としながら遠くなる背中を見送る。

聞き間違いだっただろうか。明日も同じようなことをすると言っていた。まさか毎日するつもりだろうか。

嫌な予感はあたった。大包平は近侍の仕事が終わったタイミングで執務室に顔を出した。そして手を握って帰って行く。最初は動揺したし嫌だったけれど、飲み物とちょっとしたお菓子を持ってやってくるようになってから、わたしの態度はころっと変わった。たまに忙しいときはそのままの流れで業務を手伝ってくれた。

わたしは人に壁を作らない性格だけど、仕事を頼むことは苦手なので、つい背負い込みすぎてしまう。だから、向こうから言ってくれると大変助かった。

自分の手は小さく、大包平の大きな手に包まれると指先が出るくらいに隠れてしまう。距離が近いから緊張していたけれど、回数を重ねるとそれも薄れていった。手を握る間に黙っているのも気詰まりなので、とりとめもない話をする。わたしのつまらない話にも、男は真摯に耳を傾けてくれた。

たまに手持ち無沙汰に爪のまるみにそって男の指がはしる。いやらしさは全くなく、どちらかというと見聞している動きに近い。お返しに小指を握ると顔を赤くしていた。

毎日のほんの数分の時間だけど、癒しの時間になっていた。

 

 

 

午後の穏やかな時間に、大包平と縁側に座り、手を繋ぎながら庭を眺めていた。春が近くなってきて空気が暖かい。枝をよく見れば梅が膨らんできていた。

「お前たち、まだやっていたのか」

通りかかった鶯丸がわたしたちを見るなり目を丸くした。何かをこらえるように手を口元へ持っていく。そういえば鶯丸が教えてくれたのだったと唐突に思い出し、最近は静電気がほとんど起きなくなっていたのでお礼を言うと、とうとう彼は決壊したように笑った。

「あれは嘘だ。というか、二人とも信じてずっと試していたのか」

目に涙を浮かべながら隣に座る。入れ替わりに反対の男が立ち上がった。

「騙したのか!」

「あぁ」

大包平は怒りで顔を膨らませたままどこかへ行ってしまった。何もできずに、おろおろとしていると、軽く腕を突かれて横を見る。鶯丸が手にコップを持たせてきた。中には薄い色をした緑茶が入っている。

「静電気は体内の水分が少ないと起こるんだ。だから子供はほとんどならない」

「そうなんだ。じゃあ、どうすればいいの?」

「茶を飲め」

キッパリとした言葉に、手の中にあるコップを見つめる。そんな簡単な事だったのか。そう言えば大包平は来るたびにお菓子と一緒にお茶を持って来ていた。鶯丸から美味しい入れ方を教えてもらった、と言って。

そこまで考えてから、あることに気づいて顔をあげた。手の中に納まっているコップ。クリーム色に黒猫の絵が描かれたそれは、あの日壊してしまったものと同じ絵柄だった。

「わぁ、ありがとう」

鶯丸は首を傾げていた。これ、と顔の位置に掲げてやっと納得する。

「これか? これは大包平が買ってきたんだ。長い間探していて、先日やっと見つけたと喜んでいた」

鶯丸は、そういえば秘密にしていろと言われていたのだった、と悪びれもなく呟くと、自分の湯呑みに口をつける。

そんなまさか。嬉しさと、信じられない気持ちでコップを見つめ、同じように口に運ぶ。熱い液体は食道を通り胃の底へと落ちた。

その日飲んだお茶は、今まで飲んだどれよりも、ずっとずっと美味しかった。