考え事をしていたせいか、奇妙な夢を見た。
まわりは青白い霧が立ち込めていて、視界が悪い。うつ伏せに倒れているためか、近くから強い土のにおいがした。
手に力を込めて体を起こす。あたりの風景はぼやけていて、よく分からなかった。が、意識がはっきりするにつれて霧は薄くなっていく。木のシルエットがぼんやりと浮かんでいる。
いつのまにか目の前には一本道が続いていて、道に沿うように何本も鳥居が連なっている。既視感がおそってきた。
それは子狐と歩いた光景にとても良く似ていた。道は緩やかに登り坂になっている。後ろを振り返ると濃い霧に覆われていて、上へ向かうしか道は無いのだと直感的に理解した。
夢の中でこういうのもおかしいけれど、目はばっちりと覚めていた。仕方がないので山道を登ることにする。足を動かせばすぐに、この場所の異様さに気が付いた。何の音もしないのだ。夢だから別に音など無くとも問題は無い。でも、そんなことを抜きにしても――さっきから感じる、背中を虫が這うような視線だけはいただけない。誰かが監視している。
どこまでも続くかのように次々とあらわれる鳥居を、延々とくぐり続けていると、唐突にひらけた場所に出た。登山の途中にある休憩スペースに似ている。崖の近くに、丸太を切って横にしただけの小さなベンチが置いてあった。
近づいて、そっと腰を下ろすと、眼前に山の峰が広がった。日が昇り切っていないためか、早朝の冷たい空気があたりを満たしている。空は淡い群青色で、山の頭を沈ませるように雲海が続く。
ぼうっと景色を眺めていると、左から大きな風が吹きぬけた。髪の毛がめくりあがるように顔をおおう。風が収まってから、手櫛でととのえつつ、横目で見ると、いつの間にか隣に見知らぬ青年が座っていた。
驚きすぎて声が出ない。気配もまるでしなかったからだ。
風とともに出現した男は不思議な風貌をしていた。まず髪の色。若いのに真っ白だった。いや、白――というより銀色に近い。
男はベンチにゆったりと背中を預けて、肘を後ろに回しながら、さりげなく、私の肩を親し気に抱いた。まるで恋人同士のような距離感にひゅっと喉の奥が鳴った。混乱しているためか言葉が何も出てこない。
「この件からは、手を引いてくれないか」
長い足をゆったりと組んだあとに、何の脈絡もなく男が言った。穏やかな声だった。
どう答えていいのか迷っていると、彼はにやりと口角をあげる。
「返答次第でお前を殺すことになる」
息を飲む音が木々の間に吸い込まれていった。だが不思議なことに、ぶっそうなことを言われているにもかかわらず、ちっとも恐怖は襲ってこない。どうしてだろう。なぜか分からないけれど、本心ではないというのが伝わってきたのだった。
「人が消えているから手は引けないよ。それが妖怪のせいだとしたら、退治しないといけないし」
「どうして?」
「え」
呆けたような声が出る。男は視線を山に向けたまま言葉を続けた。
「人だって、動物を殺して、植物の命を散らして、そして堂々と生きているじゃないか。なぜ妖怪がそれをしてはいけない」
確かに言われてみればそうだ。深く考えたことは無かった。弱肉強食の世なら、弱い人間は淘汰されるものかもしれない。
地面を見つめて考えていると、ぽん、と肩を叩かれた。
「冗談だよ。今の世は間違っている。俺たちは境界を越えてはいけないし、別に人間なんて食べなくていいのだから。人間に憑りついていいわけでもない。そんなことをしても魂は浮かばれない。だからいま、お前のやっていることは正しいし、これからやろうとしていることも、てんで間違っていない」
励ますようにふたたび肩を叩かれ、困惑したまましたから顔を眺める。男の瞳は切れ込みをいれたように細かった。さらによく見ると、深い血の色をしている。
「どうして私の前にいちいち現れるの。なぜ命を救ったの」
疑問をそのまま口にすれば、赤い瞳が大きくなった。大げさな表情の変化は、どこかアニメのキャラクターを連想させる。
「驚いたな。すぐにばれてしまった。いやぁ、素晴らしい霊力だ。今の仕事は天職だな」
ははっ、と陽気に笑って、深く椅子に座り直すと、機嫌よく鼻歌をうたう。
意味が分からない。でも何を口にしても徒労に終わる予感がしたので、美しい風景に目をむけることにした。地平線が明るくなっている。
「忠告どうもありがとう。それと、私の命を掬いあげてくれて、本当にありがとう」
しばしの沈黙のあと、動物の唸るような音が空気を震わせる。横を見ると、男は苦々し気な表情を浮かべていた。
「もう戻れ」
諫めるような声を合図に、目の前が暗くなった。