すくわない(2)

 それなりに酷い扱いを受けてきたということは、人に恨みを持っているだろう。例えるなら、敵地の中にいるようなものかもしれない。それなのに、こうものんびりとしているのは、いささか緊張感に欠ける。和室でぼんやりとしながら、膝の上にいるこんのすけを撫でつつ、そんなことを思った。部屋は六畳程度の和室で、壁際の一段高くなっている場所に、空っぽの花瓶が置いてある。暇なので仕事でもしようかと持ってきた荷物をあけたけれど、すぐに指がとまった。出陣も内番もないので、ほんとうにやることが無い。自身の本丸が忙しいのは、出陣を途切れることなく繰り返していることと、持ち主があまり本丸にいないことが原因なのかもしれない。それでも何とか運営しているのは近侍が優秀だからだ。私は何もしていない。上司が無能だと部下が有能になると、何かの本で読んだことがあるけれど、私の本丸はまさにそうなのかもしれない。

脇を持ってこんのすけをもちあげ目線を合わせると、びよんと猫みたいに胴が伸びた。こんのすけは寒さのあまりに身を捩って暴れる。

「何をするのですか! さむい! 早く下ろして!」

「もう一度、土蔵に行かない?」

ぶんぶんと動いていた尾がぴたりと止まる。こんのすけはガラス玉みたいな目をこれでもかと大きくし、正気ですかと呟いた。感情がよく分からない顔つきをしているけれど、驚いていることは確かに伝わった。

ここにいても何もすることがない。それにあのどんよりとした雰囲気。中に何かあるような気がしていた。

「綺麗にしないといけないんでしょう?」

「それはそうですが」

「じゃあ決まり」

こんのすけを抱いて問答無用とばかりに立ち上がる。そのまま出て行こうとすると、腕の中から非難の声があがった。

「刀を持っていってください! ここは貴方の本丸ではないのですよ!」

存外高い声が耳に煩い。はいはいと言いながら壁際に置いてある刀掛けに向かう。左手で刀を掴むが、思ったより重さを感じなかった。筋肉がついたのかもしれない。

刀を腰に差して、これでいい? とこんのすけに聞けば、彼は満足げに頷いた。

 

 

 

朝にお祓いをした蔵の前に立つ。そっと地面にこんのすけを下ろすと、彼は小さな声で「冷たっ」と言った。片方の前足を振っている。犬みたい、と軽く笑いながら木の扉を引いて中に入る。土蔵は全く日の光がさしこまない。中の物が傷まないようためだと分かっているけれど、それでも、じめじめとした独特の空気が恐ろしい。

振り返れば、逆光で切り絵のような狐の姿が見えた。入り口にぽつんと立っているこんのすけが心配そうに「気をつけて下さいね!」と叫ぶ。それに、「わかってる!」と少し声を張りながらこたえる。

歩くたびに足元から埃が舞った。反射的に咳き込み、白衣の袖で口元を覆う。空いている方の手であたりを探り、そろそろと足を進めた。

目が暗闇に慣れてくると、物の輪郭が浮かびあがる。

「なんでしょう。これは」

足元に来ていたこんのすけが呟く。天井まで高く積まれていたのは細長い木の箱だった。慎重に、目線の高さにある箱を引き抜く。バランスを崩して、玩具みたいに崩れてしまったらどうしようかと思ったけれど、心配には及ばなかった。

音を立てないように地面に置き、薄い蓋をあける。脇からこんのすけが興味深げに覗き込み、息を詰めた。

「依り代ですね」

箱の中には一振りの刀があった。何年も経ったかのように錆びていて、ところどころ緑色や茶色になっている。切っ先についている丸い染みは、血痕のようだ。

三十センチくらいしかないので短刀だろう。正確な長さは分からなかった。先から少し下がった場所で折れていたからだ。

指先で表面に触れる。ざらついて指にひっかかる。感情が襲う。かなしい、とか、やるせないとか、そんな言葉では表せない何かだった。

「もしかして、これ全部……」

天井まで積み上がった木箱を見つめながら呟くと、尻尾を膨らませながら狐は頷いた。

「主さま。どうなさいますか」

黙ったまま動かないでいると、気遣わしげな声が届いた。彼は寒さに震えながら、我慢して行儀良く前足をそろえている。

「資材に戻そう。なるべく丁寧な方法で」

「もう魂はありませんよ」

「うん」

あいまいに笑って、それでも、と口の中で言う。また両手を広げてこんのすけを招き入れた。

目で合図をすると、彼は体を捩って空間を開ける。とりあえず近くにあった箱を二つ抱えて外に出る。白い雪に足跡が続いていた。

こうして歩いているうちにも、いたるところから、殺意が波のように押し寄せてくる。何も分かっていない、気が付いていない、というふりをして、素知らぬ顔で足を動かした。腕の中でこんのすけが怯えている。いたるところで鯉口を切る音がした。尖った、硬質な音だ。

刀を持つ者の姿は見えなかった。ただひたすらに、視線だけを感じた。

 

 

 

 

結局、蔵の刀を鉄に戻すだけで半日はかかった。それでもまだまだ終わりは見えない。一日かかっても半分くらいの量しか終わらなかったので、残りは明日にしようと思い、蔵の閂をしめる。

こんなに時間がかかったのは、ひとつひとつ手で運んだからだ。台車を使えばもっと早く沢山の量を運べるけれど、そうはしなかった。なんだか作業をしているような気になってしまう。過去に人の姿をして動いていたのだ。たとえ、本当の人では無いにしても。

だからこれは、どちらかというと埋葬に近い――と、そんなことを思いながら、焼却炉に備え付けられている椅子に座って、燃え盛る炎を眺めていた。足を組んで、膝の上に手を置いてぼうっとする。

飽きもせずこんのすけは近くに居てくれた。横目に見れば、なぜかしきりにしっぽを気にしている。

「本当にただ居るだけでいいの?」

何も話すことが無いのでとりあえず頭に浮かんだ話題を口にする。こんのすけはぱっと顔をあげて、うんうんと頷いた。

「はい。この場に長い時間を過ごすだけで結構です。気が馴染めば、勝手に浄化されますから」

もし本当にそうならば、こんなに楽なことは無い。ふぅん、と気の無い返事を返しながらぼんやりと炎を見つめる。

火は、いつのまにか小さくなっていた。

 

 

 

 

翌日、せっかくなので外出することにした。

誰もいない玄関に向かって、行ってきますと声をかける。微かに漂っていた人の気配のようなものが一瞬のうちに消えてしまい、申し訳ない気持ちになった。

廊下まで見送りに来てくれたこんのすけが両足を揃えて忠告する。

「くれぐれも、刀をそこらへんに置いて来ないでくださいよ。それは貴方の刀なのですから」

「分かってるって」

わかっている――最近、この言葉しか口にしていない気がする。私と二人きりになると、こんのすけはお母さんのように世話焼きになってしまう。自身の本丸にいるときの彼は、むしろ無口なほうだった。この場に緊張しているのかもしれないと、いまさらになって考える。

細長い袋に入れた刀を肩にかける。扉を引いてから振り向いてひらひらと手をふると、こんのすけは尻尾を揺らしてくれた。

外に出て真っ直ぐに門に向かう。本丸から離れるというだけで、どっと肩の荷が下りる気が来た。室内にいると息がつまるから、一日に一回は散歩をするのもいいかもしれない。

脇道には雪が残っているが、歩くのに問題はなかった。長閑な田舎道。果てしなく田んぼが広がっているが、収穫が終わった冬の時期は土しかなく、連日降り続いている雪のせいでそれも白くなっていた。

冷たい風が吹いてマフラーに首を埋める。両手をコートのポケットに突っ込んだ。手袋はしていない。いざというとき、持ってきた刀を顕現させないといけないからだ。それには、直接鞘に触れる必要がある。

一度考え出すと背中の重みに意識がいく。もし、人の姿になってくれなかったらどうしよう。お願いしても、拒否されてしまったら。

それはおおいにあり得る、と、心の中で呟きながら顔をあげる。いつのまにか万屋のある通りについていた。

大通りを歩き雑貨屋の角を曲がると、待ち合わせの喫茶店はすぐそこだった。三階建ての建物を見あげる。おんぼろだけれど、雰囲気のある店だった。黒っぽい木でできた重厚な扉を押すと、からからと鈴の音が鳴る。

入るとすぐに、ショーケースに入ったケーキが目に飛び込んでくる。甘そうな生クリームがこってりと乗っている。店内はどっしりとしたインテリアで統一されていて、奥に階段がある。うろうろと視線を迷わせていると、店の人が気付いてくれて、階段を手でさした。二階にあがれという意味だろう。軽く会釈をして、急な階段をのぼる。一段ずつ足を乗せるたびに、ぎぃぎぃと音を立てるので、抜けてしまうのではないかと恐ろしかった。ずいぶん古い建物だ。四百年くらいたっているのではと予想してみたけれど、正確な年数は分からない。

二階は下に比べて広く感じた。テーブルの半分くらいが人で埋まっている。見たことのある顔がいくつかあった。みんな腰に刀をさしている。護衛できているのだろう。階段から室内を覗いた途端、さっと視線が集まったのでそうだと確信した。

壁際に設置されているテーブルのひとつに近づき、背負っていた刀を下ろす。木の椅子に腰を落ち着けると疲れが押し寄せてきて、頬杖をつきながら目を瞑った。目を閉じると音が立体的に耳に届く。低いヴォリュームでクラシックが流れていた。しばらく音楽を聴いていたけれど、ふと思い出して、刀袋を廊下側から体のはさんで窓側に移動させた。

「お待たせ」

聞き覚えのある声に顔をあげると、女性が立っていた。白い肌が眩しい。黒い髪はすとんと鎖骨へなめらかに落ちている。おもわず目を細めていると、彼女は黒いコートを脱ぎながら、「その顔なに?」とたのしそうに笑った。

タイミングを見計らったように店員が来たのでカフェオレを一つ注文する。目で問いかけると、彼女は向かいの席でメニューを覗き込みながら同じものを頼んだ。

「久しぶりだね」

彼女は数少ない同業の友達なのだった。少しマイペースなところがあって、現にいまも、白い指先をテーブルに乗せて、ペーパーで折り紙を作っている。

綺麗に鶴を折ると、おもむろに机の端に置きながら口をひらいた。

「ずいぶん面倒なことになっているみたいじゃない」

それが合図となって、口からするすると言葉が出てきた。無理な運営を強いられて空気が淀んでしまった本丸、姿を見せてくれない男士たち。そして、土蔵の中にうずたかく積まれた木箱。たどたどしい説明にも熱心に聞いてくれるので、つい後半は感情的になって話してしまう。

ひとしきり言いたいだけいって一区切りつくと、彼女は頬杖を突きながら難しい顔をしていた。

「男士のケアもするの?」

「しない。場所の浄化だけだって。三か月したら自分の本丸に戻るよ」

「それなら良かった。だって……」

一瞬考えるようなそぶりをしたあと、すぱっと切るような口調で、彼女は言葉を続けた。

「あなたに向いていないもの」

何か反論しようと思ったけれど、すぐに口を閉じた。全くもってその通りだと思ったからだ。窓際に置かれている細長い袋が目にはいる。

反省しながら深いため息をついていると、友達は痛い所をついてくる。

「人の姿に戻さないの?」

「うん、まあ……。なに話したらいいか、わかんないし」

任務の前日、執務室に彼を呼んだときのことは今でも覚えている。深夜だった。お互い緊張しながら正座をしている。空気が重く、お葬式のようだった。

何から説明しようと必死に頭を巡らせていると、前から弱い風がきた。びっくりして顔をあげれば一振りの刀があって、男は無表情のまま、加州から全て聞いたから説明はいらないと言った。

そして、こう続けたのだ。己を刀に戻して欲しい、と。

本人からそう告げられたとき胸の内に沸いたのは安堵だった。本体を受け取り、その場で刀に戻した。

「そんなんじゃ救えないよ」

ぼうっとしていると思いのほか辛辣な言葉が飛んでくる。

「なんとか三か月だけ耐えて、すぐに自分の本丸に戻ったほうがいいよ。変に助けようとか、トラウマを解消してあげようとかは、絶対に思わないこと」

「うん。大丈夫、よけいなことはしないよ」

素直に返事をすれば、彼女はふっと緊張をといた。タイミングを見計らったかのようにカフェオレが運ばれてくる。珈琲の香りは落ちつく。まろやかな色をしている液体を木のスプーンでくるくると回していると、一階にあるデザートを思い出した。懐かしいバターケーキ。なんだかあれが無性に食べたかった。

メニューを眺めていた彼女と目があう。心が通い合った瞬間だった。ほとんど同じタイミングで手を軽く上げて店員を呼ぶ。

それから、たっぷり三時間は話をしていた。仕事の話は一切しなかった。時間はあっという間に過ぎて、お開きの空気が漂うころ、やっと私たちは腰をあげた。ぎしぎしと喚く階段をおりて、玄関先の扉で向かい合う。

「お互い頑張ろうね」

彼女は手をひらひらと振って路地の向こう側へと消えて行く。後ろ姿が完全に消えるまで、名残惜しい気持ちで眺めていた。折り目のきちんとついた長いスカートがひらひらと揺れている。ショートブーツが軽やかに地面を蹴り上げていく。

姿が見えなくなってから、ようやく背を向けて、反対側に伸びる道を歩いた。吹きつける風が冷たい。さっきまでとても温かかったのに。

どうしても本丸に帰りたくなくて、町から出た先の河原沿いをのろのろと歩く。ときどき立ち止まり、意味もなく川の流れを眺めたりした。子供じみた時間稼ぎをしているとすぐに気が付いたけれど、どうしてもやめられなかった。

どんなにゆっくりと歩いていても、足を動かしていれば目的地に着いてしまう。門が近づいてくるたびに心は重くなっていく。

玄関の扉を静かに引き、慎重に扉をしめ俯いていた顔をあげた。

あ、と口から声がもれる。

入ってすぐに真っ直ぐな廊下があり、数メートル離れた場所に男士がいた。

ここへ来て初めて人の姿を見た。緊張しながら冷たい地面の場所に立ち尽くしていると、背を向けていた男が振り返る。

「おや。戻ってきたんですか。お帰りになったのかと思いました」

咄嗟のことに返事が出来ない。男は私が何を言うか興味があったようだったけれど、狼狽えて立ち尽くすばかりだと判断して鼻で笑った。形のいい脚が床を踏む。

足音が遠ざかり、姿が完全に見えなくなってようやく息を吐いた。知らないうちに息を詰めていた。――怖かった。殺気が凄くて、天井が落ちてきて圧迫されるようだった。これが刀剣男士の気迫かと、煩くわめく心臓をなだめるように胸元の生地を握る。てのひらにじっとりと汗が浮かんだ。

靴を下駄箱にしまう。脳裏にさっき話したばかりの言葉が浮かんだ。

三か月。たったそれだけの期間を、ただ過ごせばいい。徹底して、居ない者としてふるまうのだ。男の冷徹な目を思い出す。あらためて、余計なことはしない、と、心にかたく誓った。