細かい雨がふっていた。
天から糸のように垂れる水が、頬を、そして袴の隣にある腕を伝う。
落ちてくる水は透明で澄んでいるのに、指先から滴るのは真っ赤な血のような色だった。
雨はどんどんと汚れを洗い流していく。
手に持った刀が重い。まるで世界に繋ぎとめる鎖のようだ。鞘に納めるのも億劫で、ずるずると引きずって歩いた。体がどこもかしこも痛かった。肉体はとっくの昔に悲鳴をあげていた。
戦場は淀んだ空気が流れていた。ときどき、出っ張った石に足を取られてしまう。
ぬかるみに足を取られながらひたすらに歩く。
草の上にひっくり返り、八本の足をぎゅっと圧縮させ絶命している大きな蜘蛛の横を通ると、腐った肉の匂いがした。
高い鳴き声が聞こえる。
空を見上げると、羽をいっぱいに広げながら雲の下を矢のように飛んでいく鷹が目にはいる。道筋を追っているうちに、遠くが丘のようになっているのに気が付いた。
細い草を踏みつけるようにして斜面を登った。腰の帯で乱雑にとめている鞘に刀を収めると、硬く、尖った音が耳に届く。
雨が容赦なく体を叩いている。指先は氷のように冷たかった。ごうごうと風が鳴る。
空は重く黒い雲が覆っていて、世界を押しつぶそうとしているみたいだった。
やっとのことで丘の頂上につくと、視界いっぱいに空と海が広がる。海は酷く荒れていた。怒っているような、轟くような音を立てて、地平線から波が押し寄せて崖にぶつかる。水しぶきが顔のあたりまでかかり、塩水が口のなかに入った。
崖のぎりぎりの場所で両手を鳥のように広げ、全身で雨を受けとめる。
とても気持ちがいい。このまま鳥になって、どこまでも空を飛んでいけたらどんなにいいだろう。
一瞬だけ、暗い誘惑が心を満たして、心臓のあたりがゆさぶられた。手をおろして草原を見つめる。誰もいない。無数の黒い刀が打ち捨てられているだけだった。
海風が髪をかき乱す。散々迷って、一歩ずつ、足を前にだした。
そのまま目を閉じてみる。波音が鼓膜を震わせる。
ふと、誰かに呼ばれたような気がして視線を海に向ける。
崖の一メートルほど下がったところに土色の何かが突き刺さっていた。
不審に思いながら目を凝らす。酷く錆びているが、刀のようだった。
どうしてこんなところにあるのだろう。沢山の疑問を浮かばせながらも、好奇心に負けて腹ばいになった。汚れるとか、落ちてしまうという心配は無かった。どうでもいいと思ったのだ。
限界まで手を伸ばし、ざらついた柄を握る。慎重に、そして渾身の力を込めて思いきり引き抜く。
耳の奥で清らかな鈴の音が鳴る。
いつの間にか雨がやんで、空が晴れていた。
雲の間から天使の梯子のように光が差しこんでいる。
まるで天国みたいだった。