すくわない(8)

 翌日、絶対に来ないだろうと思っていたのに、予想に反して障子を叩く音が聞こえ、驚いて顔をあげる。横にいたこんのすけも珍しく動揺しているようで、尻尾が膨らんでいた。無視をするわけにもいかず、名前を呼べば、静かに一礼をしてから男が入室してくる。無表情で感情がよくわからない。

「昨日はどうして戻ってこなかったの?」

なるべくなんでもないことのように聞く。ポーカーフェイスだと馬鹿にされたことがあるが、この時ばかりは表情に乏しくてよかったと感じた。男はほんの少しだけ斜め上を見上げて考えるそぶりをみせる。

「作業中に体調が悪くなってしまって。ご報告せずにすみません」

そう、と曖昧に返事をしながら視線を手元に落とす。

男は暫くじっと反応を伺うように見つめていたけれど、ふと興味をなくし書類を手繰り寄せ「これ、納期いつまでですか」 と言った。

 

 

 

 

人は外側をどんなに取り繕っていても、中身はまるで違う。あの人もそうだったし、きっと目の前のすまし顔の女もそうだろう。とくにこういう無口なタイプは信用がおけない。腹に溜め込んでいる感情を他者に悟られないよう、必死に仮面をかぶっているのだ。

近侍にならないかという誘いにのったのは女の素顔を暴くためだった。人はどうあがいても、言葉の端々や所作に生き様や感情が現れる。なにひとつ見逃すつもりはなかった。

手始めに自身の本丸について尋ねてみることにした。女は緊張し表情を強張らせた。

「近侍は一振りだけに固定しています」

「なぜ?」

「とくに深い理由はないです」

会話を打ち切るような雰囲気すら感じた。畳の近くから声がし、そっと覗くとこんのすけがいて、女の太もものあたりをバシバシと叩きながら、「もっと話を膨らませる努力をして下さい!」と怒っていた。

別にいいのに――と口から出そうになる。取り立てて会話をしたいというわけでは無かった。だから手元に視線を落とすと、ちょうどおなじタイミングで、女が口をひらいた。

「最初は自分で全部やっていました。でも無理だった。みんなに心配されて、色々あって、今は加州清光を固定に」

「それは、特別な刀ですか?」

近侍をつけなかったということに驚きと好感を覚えた。使いたくもないのに出てきたのはいやに丁寧な敬語で、取り消すように舌打ちをするが、女は気にしたふうもなく、手元の紙をかぞえながら、

「うん、そう。特別」

と言った。つまらない答えだ。

下のほうから管狐が顔を覗かせる。

「最近は立候補する刀が増えてきましたよねぇ」

「どうして手伝いたがるんだろう。こんなに面倒なのに」

苦虫を噛み潰した顔をしながら、私にはよく分からないと女は頭を振る。

なぜか無性に苛々とした。正直、特別に魅力的な人間には思えない。容姿も能力も、平均だ。もっと整った顔をした人間はいくらでもいる。

「私だったら近侍はやりたくないな。時間があるなら寝てたい」

「審神者様は本丸をあけている時間が長すぎなんですよ。一か月も音信不通で、質問攻めにされる私の身にもなってください。毎回言い訳を考えるのは、こちらなのですから」

「ごめん」

謝りながら話題を晒すようにモニターをたちあげる。白い指先が画面をなぞるのを、どこか遠くの景色のように眺めていた。

「……正しく使ってください」

「え?」

ハッとして顔を上げれば、女と狐が揃ってこちらを見つめていた。二人ともまぬけな顔を浮かべている。

いま、何を口走った。羞恥を隠すように俯く。

「なんでもない」

もごもごと口の中で呟き、小さくため息をつく。

もともと本丸は休止している状態なので業務量は少なく、すぐにやることはなくなった。暇になると女は本を読んだ。部屋に戻っていいと言われたが理由をつけて執務室に残ると、嫌がる空気を感じて、俺だってこんな所にいたくないと反論したくなる。

まるでこの女の性格が分からない。無口なのだ。コミュニケーションを自分から進んでとろうとしない。さぞかし仕事や人間関係で苦労しているだろうと思い聞けば、思いのほか否定された。

「とんな仕事も慣れれば習慣になるから。人間関係の悩みも大体パターンが決まってるし、相手は変えられないから、最初から諦めてる」

随分と冷めた考えだ。水のようにすべる言葉に温度はなく、無機質だった。どう答えたものかを考えていると、女は返事を期待をしていなかったのか、すっくと立ちあがりどこかへ消えてしまった。

「どこへ」

背中に問い掛ければ、すこしだけ振り返り「喉が渇いた」とつげられる。

「もっと、明るい人が良かったですか」

横から恐る恐る声がして、視線を向ければ狐が座っている。選んだのは政府だろうとそっけなく言えば、うんともいいえともつかない態度で尻尾を振った。ではどうしてあの女が選ばれた。浮かんだ疑問はすぐに解消された。薄い帯のように漂っていた異臭がこの部屋だけはしない。息がしやすい。知らない間に浄化されていたらしい。そう気が付いたとたんに足先から恐怖を覚えた。乗っ取られてしまう。何も無かったかのように。汚れた壁に上から綺麗に白いペンキを塗りたくられるように、つぶされていく。

ぐちゃぐちゃになりそうな思考を整理する。とりあえずこの霊力のことは他の刀にも報告しよう。ただの平凡な女では無かったかもしれない、と、考察をそえて。

「どうされましたか」

「なんでもない」

わざと冷たく言い放つ。狐のちょうど近く、机の上に本があるのが目に入った。さっきまで女が読んでいたものだ。手を伸ばし、背表紙が見えるように角度をずらすと、聞きなれない文字がでてくる。

「あぁ。認知関連の書籍ですね。へぇ、こんなのも読んでいたのですか。きっと、彼女も探しているんですよ。どうにか助けられないか」

管狐は感心したように本に触れ、ぽつりと呟いた。

聞かなかったことにして、手を離した。女はまだ帰ってこない。

目を閉じれば暗い光景が浮かぶ。

――思いやり、優しさ、ぬくもり。

そんなものでは、俺は救われない。

 

 

 

 

 

ある日、主が沈んでいたから顔を覗く。ついでに手元にある成績表を見て言葉を失った。散々な数字で、素人から見ても悲惨な状態だった。はっきり言って彼女には、戦闘に関するセンスはない。頭の回転の良さも、霊力さえも並だった。さらに致命的な欠点がひとつあり――それは角度を変えてみれば長所でもあったのだが――気の抜けたところがあった。ここぞというときに状況を見誤り素っ頓狂な指示を出すので、一部の者は呆れを隠さず顔をゆがませた。そんな調子なのに自分の比を認めない性格だったから、反省もしなければ進歩もない。一向に改善はされず、状況は悪くなるばかりだった。もし主が、現代に生きる普通の女ならそれで良かった。彼女は愛嬌があり可愛らしい。男には苦労しないだろう。だが戦うことは遊びではなく、一瞬の気の迷いが命運を左右する。息を吐くのも躊躇うような緊張感。刀を振るい血を浴びる日々。

 

その日の構成は無謀といえる内容だった。夜戦なのに短刀が一振りもいない。必死に刀を振り体に傷を負いながら本丸に帰ってくると、主が出迎えてくれた。俺は重症者に肩を貸していた。ぐったりとして意識はないが息はあり、半身が血に濡れて重い。俺自身も、途中までは歩けていたが本丸に着く頃には意識が朦朧としていた。

玄関口にたまる血に気が付くと主はほんのわずかに眉を寄せる。まるで汚いものを見るような反応だった。道端に落ちている吐瀉物を見てしまった、とでもいうような。だが、それはほんの一瞬で、主はすぐに慌てて「手入れ部屋をあけるね」と背中を向けた。

肩を貸している男が苦しそうに唸ったので、余計な思考には蓋をし手入れ部屋に向かった。傷ついた男士は手入れ札を使うと一瞬で癒され元の美しい肉体に戻る。それを横で眺めていた主は、

「魔法みたいだね」

と、関心したようにため息をついた。

 

 

無謀な進軍を繰り返したことにより折れる刀が出てきた。覚悟していたことではあったが、想像と実際に起こるのでは訳が違う。本丸には重い空気が流れたが、次は一振りもかけさせないと、それぞれが気持ちを新たにした。

最初に折れたのは練度の低い短刀で、ショックを受けた主は落ち込み部屋から出て来なくなった。初期刀が心を砕いて宥めすかし、やっと精神が安定した女は、ある日の晩、皆が食事をしていた大広間に顔を出し、神妙な顔で「わたし、もっと頑張るね」と言った。

それから、言葉通りに彼女は努力したが戦に敗れることが多々あり、犠牲は後をたたなかった。おのずと政府からも責められるようになり、ストレスのたまった女は時折それを刀にぶつけた。だが誰でもいいというわけではないらしく、主の好みであった俺は選ばれることが多かった。ある日、わざとぶつかってきて思わせぶりに口角をあげるので静かに頷く。秘密の合図だと言っていたが、周りにいた者はなんとなく察していたと思う。どこからか突き刺すような視線を感じた。主を慕う男は多く、視線の奥に嫉妬が見え隠れする。そんなにいいものではない、と心のなかでつぶやきそれにこたえる。

「どうして正装なんかで来たの?」

不思議そうに尋ねられたが曖昧に笑うしかできない。きっちりと隙間のない服は己を守ってくれる気がした。敵からの太刀も、これから行われるであろう、無邪気な小娘の戯れからも。

主の自室は朝にどれだけ綺麗にしても夜には散らかっていた。わずかに気落ちしたが表面には出さず眺め下ろしていると声をかけられる。

「そこに座って」

従順な犬のように、言われるがまま畳に正座する。膝下から伝わる冷たさは心を安定させてくれた。

今日の主は酷く荒れていた。畳にはお酒の缶が数本置いてある。持ちあげて軽く振るがすでに飲み干したあとで中身は空だった。彼女の瞳はいままで見たことがないような不思議な色をたたえていた。換気をしていないせいか空気が澱んでいる。食べ物の匂いを消すためお香が焚かれているので煙い。あまり好きな香りではではなく、なるべく吸い込まないように静かに息をしていると、唐突に眼前に足がきた。

「舐めて」

信じられない気持ちで前を見つめる。動かない俺を見て女は不思議そうに小首を傾げる。少し考えたあと、聞いていた話と違うな、と呟いた。

「貴方は従順な刀だってみんな言ってた。下げ渡されるのが嫌だから、なんでも言うことを聞くって」

血液が静かに沸騰していく。ばらばらと小魚のようにおどる足の指。睨みつけると女は一瞬怯んだ。だがすぐに気を取りなおし冷めた目で見下ろす。

「うちの長谷部はちがうのかな? じゃあ、」

言葉が続く前に落ちていく踵を手が支えた。勝手に体が動いてしまう。悔しさに下唇を噛んでいると、残酷な声が降ってくる。

「舐めてよ。これからも、私の物でいたかったら」

手に乗った足が脱力して重みを増した。自尊心が塗りつぶされていく。思考がまとまらないのは部屋に焚かれている香のせいだろうか。動物のように押し殺した呼吸の音は部屋の空気を震わせた。顔を下に向け、足の甲に舌をおくとすぐに「そこじゃない」と叱られる。だらしのない犬を躾けるような言いかたに腑が煮えくりかえる。怒りのまま、小粒の貝に似た指を口に含む。味はしないが嫌悪感がひどい。噛み切って畳に吐き出してしまいたいが理性で抑える。ゆっくり舌を指の谷間に滑らせると両手で支えているふくらはぎが痙攣した。視線を向けると女が顔を赤くしている。欲情しているのか。冷静に観察しながら最後に軽く吸いあげる。口を離せば溢れた唾液が糸を作った。

「知っているよね。わたしが破壊の数を誤魔化していること」

首に回った腕があたたかく、乾いた声で肯定すると、主は小さく、そう、とだけ言った。